みなさんこんにちは学芸員Aです。
北陸、新潟、東北地方では菊の花を食べます。
新潟では「かきのもと」というらしいんですが、
ごく最近まで知りませんでした。
ワタクシは子供の頃からそんな名前は聞いたことがなく、
親も親類も「菊」とか「菊の花」といっていたと思います。
食べ方は、酢の物にするのがポピュラーかと思います。
なぜ「かきのもと」というのでしょう。
新潟市さんのHPにこんな記述がありました。
かきのもとの名前の由来は、「生け垣の根本に植えたから」、「柿の木の根本に植えたから」など、諸説ありますが、現在は、「柿の実が色づいてくるころ赤くなるから」というのが一般的になっています。
へえ、そー(ぜんぜん納得していない)。
他所でどう呼んでいるのかがすごくヒントになるとワタクシは思います。
長岡では「おもいのほか」と呼び、山形では「もってのほか」というそうですね。
どっちも隠喩または暗喩であることは確かです。
「思いのほか食べられる」のか、「食べるなんてもってのほか」なのか、
観賞用のようで食用になるというどっちつかずの物だといいたいのか。
あるいは権威の象徴だったり皇室の御紋だったりするからかもしれません。
いずれにしても、その名前を直接言うには憚られたのでしょう。
新潟では、そのどちらでもなく、
「かきのもと」といいますが、やっぱり隠喩です。
表現上においてどっちにもつかずですが、やっぱり
食べられるか否かの中間を言おうとしたんじゃないか。
そう思わずにはいられない止まらない。
地理的に見て長岡と山形との中間にあることは偶然でしょうけども、象徴的です。
個人的な意見ですが、こういう表現法は江戸時代の諧謔風だなって思います。
だから「かきのもと」はおそらく「青い柿の実」や「柿の種」のようなもので、
いまは食べられないけど、時が経てばいずれ食べられるようになる、
そういうことをもって婉曲表現しているのだと思います。
「時間が経てば」というのは、「そのうちね!」という遠回しの拒否なのか、
「慣れれば」とか「いまのご時世が過ぎれば」のような肯定なのか、
よくわかりませんけど、そんな感じで解釈したいところです。
そしてまた、このネーミングは、
すでに食べられることを知っている新潟の人によるのではなく、
「えっ、たべんの、まじで。」と驚く人、きっとお江戸から来た方が
何かの文章でそう記述したものを引用したものじゃないか、
そんなふうにも思ったりするわけです。勝手な想像です、あしからず。
先日玄関に置いてあった菊の花は、昨日「かきのもと」に化けていました。
さっそく食べたいと思います。本当に華やかな香りで美味しいですよ。
新潟に来たら笹団子もいいけれど、「かきのもと」も、是非。
学芸員A