2017年09月20日

じょうもんじんが来た

みなさんこんにちは、この1週間くらいで20箇所以上蚊に刺された、

たぶん血が美味しい学芸員Aです。

今日、博物館事務室ににわかにこんな声が響き渡りました。


じょうもんじんがきた!!!


半縄文人とかなりきり縄文人とか、そういうのが時々いらっしゃるので、

博物館にいる職員はこの手の話に眉一つ動かさないわけですが、

本日のざわめきはこれまでの経験にはない大きさでした。何事かと。

どれどれ・・・

入り口の方へ、意味もなく偉そうに目をやると、

そこには、、確かにありました。



2017-09-20_joumonjingatodoku.jpg
縄文ZINE


本物だ。たしかに「じょうもんじん」。

と、誰かがつぶやきました。


今回の号には、十日町市博物館が広告を出しています。

これ。

2017-09-20_joumonjin7gakita.jpg

 火焔型土器と縄文文化を見に行こう!

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学芸員A
posted by 十日町市博物館 at 16:23| Comment(0) | 日記

2017年09月08日

「高田茂とマリア観音」伝説

みなさんこんにちは、学芸員Aです。

松之山の観光マップを調べていたらこんな名所が書かれていました。

マリア観音

そういえば前に、松之山郷民俗資料館へ行った帰り道、

道標に誘われて行った松陰寺でそれを拝見しました。

実際にはお堂が暗くてよく見えなかったので、行っただけともいえます。

いまちょっと検索してみたら沢山の記事がヒットしまして、

ざっくり言うと総じてこんなことが書いてあります。

1 松陰寺の観音様はマリア観音である
2 松之山には多くのマリア観音がある
3 マリア観音とはカクレ(隠れ)キリシタンの信仰に関わるものである
4 マリア観音の発見者は元立教大学総長の高田茂である
5 高田茂の著書として、以下の2件がある
 (1)石のマリア観音耶蘇仏の研究
 (2)聖母マリア観音:御姿と伝承

また、新潟教会の司教さんがマリア観音を見るため、

このお寺を訪れたこともあるとか。

ところが。

いろんな記事の中に気になる言葉がひとつ入っていました。

「高田先生がマリア観音であることを立証した」

・・・立証した、と。

妙な言い方です。人文系では使わない言葉です。解釈学だからです。

普通は、「〜の可能性が極めて高いと指摘」とか、そういう感じです。

もやもやした気持ちのまま、さらに記事を見ていると、

あるサイトでこういう言及がありました。



「歴代立教大学総長に

 高田茂という人はいません。」



きた。きました。

ワタクシの中のコナン君が目覚めた瞬間です。

で、検索してみると、確かにいませんでした。イイかんじです。

「総長」は第2代から現在の19代まで公表されていまして、

高田さんという方はいませんでした。

次に学術論文検索を行いました。

結果、

論文1本もなし。


上記の本は、自費出版のようです。

なかなか直接的な証拠が見つからないのが難ですが、

ひとつ言える確かなことは、この方が経歴を詐称したということ。

それと、マリア観音と「立証」されたという石像は、

おそらくは全国にある「子育地蔵」あるいは「子安地蔵」の一種

だろうということです。みなさんも画像検索してみてください。

いっぱいあります。

それから歴史の検証にはクロスチェックといいますか、多方面から同じ事実に行き当たることができるかどうかが大事になります。

近世史なら、まず文書、口伝、その他の物的証拠が必要になるでしょう。

が、松之山にカクレキリシタンが居たことを示すほかの証拠は今の所全くありません。

子安観音がマリア観音に似ていることだけを拠り所にしてカクレキリシタンがいたというのは、単なる思いつきを口にしたのと同じです。

「真実はひとつ!犯人はおまえだ!


ビシ!

犯人じゃないですけどね。単なる思いつきを言っただけですから。表現の自由です。でも経歴詐称は良くないです。


ただ、ですね。

簡単に指弾するのもどうか、というのもあります。

考えてもみてください。

平家の落人、海底に沈んだ都市、源義経→チンギスハン、

ノストラダムスの大予言、ツチノコなどなど、

この手の話は、挙げ出したら切りがないくらいたくさんあります。

それはそれで面白いからいい というのは、

悪いばかりではありません。

本気にしてしまう人がいるのは文化財部局的に困ったものなのですが、

ツチノコやカッパの伝説で町おこししているところもあり、

そういう脈絡では面白いことなのかもしれません。

現状ではあくまでオカルトの範疇であることを自覚していれば、それで良いとおもいます。

だいたい、かくいうワタクシもですね、こんなことしてます。



学術論文検索で「学芸員A」を検索したら、

1本もヒットしませんでした。


追記
子安観音が多い事実があるとすれば、この地域に特別な習俗や考え方があったことを示すのかもしれません。オカルトに覆われてその事実がなかったかのようになるとすれば、それはとても大変残念なことです。

学芸員A
posted by 十日町市博物館 at 17:31| Comment(0) | 日記

2017年09月07日

魚沼郡と書いて「うおぬまのこおり」と読む

みなさんこんにちは、学芸員Aです。

地図を見ればたちどころにわかる、というものがあります。

「魚沼郡」というくくりがたびたび登場しますが、

いったいどこだろう。

そんなときはいつものWikipedia先生に訊いてみましょう。


でましたね。一発です。時代が・・・とかいわない。だいたいでいいんです。

で、この範囲に入っている現在の自治体はというと、

小千谷市、長岡市のうち旧・川口町、

魚沼市、南魚沼市、湯沢町、十日町市、津南町です。

平成の大合併のおかげでわかりやすく列記できるようになりました。ビバ。

このうち、小千谷市はその北部、ちょうど市街地あたりを境にして、

北側は古志郡(こしのこおり)に属します。アンダーラインの意味は、またあとで。

それから、十日町市の西側の旧・松代町と旧・松之山町は、

もとは頸城郡(くびきのこおり)でして、今とはちょっとしたズレがあります。


江戸時代の魚沼郡は総じて幕府領(天領)となっていましたが、


幕府と仲のいい藩(親藩や譜代)に管理させていました。

「直営だと面倒な地域だからおまえさんやっといて」的なところでした。

何が面倒って、雪が深すぎるとか、中心地が定めづらいとか、

たぶん統治上の効率の問題です。

で、どこに預けられていたかというと、だいたいは会津藩。松平家ですね。

ほかには高田藩、陸奥(福島)の白河藩、伊勢の桑名藩、、、これらはみんな松平家。

ほかは省略。


旧高旧領取調帳」という明治初年の調査帳簿があります。

江戸時代の村をどこの藩が治めていたのかという調査帳簿です。

新政府がそれを調べなければいけなかったということは、

統一的な帳簿が無かったことを意味しているのかもしれません。

なぜか耳が痛い気がしますが、めげてはいけません。

この帳簿に基づいて、魚沼郡の預地状況を拾いだすと、こうなっているようです。

 会津藩・・・魚沼郡 81村
 桑名藩・・・魚沼郡 20村

会津藩の預地は、まだ全部調べてませんが、

新・十日町市に合併した旧・十日町、旧・川西町、旧・中里村は全部入るでしょう。

桑名藩の預地は、現在の十日町市の西南部、鐙島から吉田のあたりです。

それから、頸城郡の方でも預地があって、高田藩の頸城郡234村が該当します。

十日町市に合併した旧・松代町と旧・松之山町がここに入っています。

ということは、現在の十日町市の範囲は、魚沼・頸城郡の一部が合併した範囲ですので、

かつての幕末時の会津藩、桑名藩、高田藩の預地がくっついているということもできるのです。

なんだかもうごちゃごちゃです。


ところで最近、こんなニュースがありました。

 ご当地ナンバープレート:魚沼地域を 3市2町実行委員会設立

3市2町とは、魚沼、南魚沼、湯沢、十日町、津南のことのようです。

だいたいは魚沼地域、旧・魚沼郡ですね、すばらしい企画です。

新ナンバーになるのに必要な域内車両台数は満たしているそうなので、

きっと「魚沼ナンバー」になるんだろうと思います。

やったー・・・・・・

って、、、、ん?

あれっ!?

なんか、ひとつ、足りないような気がするのは気のせいでしょうか。

気のせいに違いありませんというのが気のせいのような気もします。


そこは大部分が魚沼郡だったはず


と、アンダーラインに加えて

文字を大きくして指摘しておきたいと思います。


学芸員A
posted by 十日町市博物館 at 12:10| Comment(0) | 日記