2017年10月23日

マジョリカお召

みんさんこんにちは、

最近新しい記事を書いていないなと思っていたら、

10月も残すところあと1週間という今になって初めて、

今月はまだ一回しか書いてなかったことに気がついた学芸員Aです。

奇跡の月イチ更新を成し遂げるところでした。

とはいえ、このところアップできなかったのにはちょっとした言い訳があります。

それは、いくつかのゆるい調査をゆるゆると進めすぎて、

いずれもまとまった結論や詳細を調べ切れていないというものです。完全に言い訳です。


というわけで、その「ゆる調査」について少しだけ開示しようと思います。

「マジョリカお召」について。普通は知りません。私も知りませんでした。

ご存知の人は、相当な着物通。

ネットで検索すると、だいたいはこう書かれています。

(以下、着物用語大全より引用。)

昭和に「マジョリカ御召」といって大ヒットした御召があります。このマジョリカ御召も新潟県十日町を中心として、昭和34年から約4年間に渡って生産されました。 洋風の柄と銀通しの、キラキラした御召で、地中海のスペイン領マジョリカ島特産のマジョリカ陶器をイメージして織られたといいます。色数の制約が多く、派手なものを作れないという織物の弱点を、緯糸を絣捺染して紋の上に載せる発案で、多色使いに成功された画期的な織物とされます。マジョリカ陶器のようにカラフルで明るい色調が特徴です。

(引用終わり。)

マジョリカお召は博物館に常設展示もしていますし、画像検索すれば山のように出てくるので、見た目の特徴は百聞は一見に如かず、一目瞭然です。なんだかキラキラした、私の目からは少しくどい印象を受ける絵柄の絹織物です。ちなみに高級な絹織物のことを「お召」というらしいです。徳川家斉に献上したからとかなんとか。

でも、もっと製造工程上の特徴のくだり、恥ずかしながら織物のことを全く知らない私は全くわかりませんでした。
何がわからなかったかというと、

 1 緯糸(よこいと)を絣捺染(かすりなっせん)

 2 紋の上にのせる

 3 上記によって、色数の制約を乗り越えて多色使いできる

この全て・・・。それでここ最近、短期集中的に勉強しているのですが、やはりわかりづらかった、というのが正直なところです。

1は、経糸(たていと)と織る前、緯糸だけを並べて、そこにプリントする(捺染という)ことを示しています。鮮やかな色彩を出すための工夫とされています。昭和30年代のこの頃までの技術的な水準を考慮しないと理解できないことです。理由はわかりませんが、この当時、織る前に糸を染めておく「先染め」(絣)では明るい色が出ず、基本的には「後染め」の技法の一つである捺染をすればそれが実現できたらしいことが推測されます。染料の種類や質の違いなのでしょうか。いずれにしても、マジョリカお召は、後染めの技術を先染め的に使うことで色彩的な問題を克服できたようです。

じゃあ、なんではじめから「後染め」にしないのよ。後染めで鮮やかになるなら後染めすればよかったじゃーん、と素人のワタクシは思ってしまうわけですが、そうでもないようです。

このころの後染め(捺染)の技法で綺麗に(微妙なニュアンスでごめんなさい。)染めるには友禅技法があったそうですが、十日町では「まだできなかった」そうなのです。

友禅には手描き友禅と型友禅とがあって、型を使って文様をつける(のせる)のは型友禅。型友禅は、明治年間に合成染料ができたことで生まれた技術だそうですから、染料の種類と質が技法の始まりに影響していることが読み取れます。また、「まだできなかった」ということは、このような技術はやろうと思って一朝一夕に移入できるものではない、ノウハウの世界であることもまたうかがい知ることができます。

そして、この型友禅をすぐに導入できないことから生まれたのが、絣捺染という方法、つまり緯糸だけに捺染してからあとで織る、という逆転の発想だったというわけ、ではないでしょうか、きっと、たぶん、おそらく。織ってからでは捺染できないけれど、緯糸だけなら捺染できる、理由はわかりませんが、そういうものなのでしょうきっとたぶんおそらく。

さて、滝澤英輔氏の「産地改革のさきがけ マジョリカ物語」にこのような記述があるので引用しておきます。

マジョリカお召とは、一言でいえば限りなく染物に近い、派手向きの高級絹織物のこと。模様捺染の経絣又は緯絣とジャカード紋織の両者の特技を組み合わせて、金属光沢のラメを織ったお召。」(『市史リポートとおかまち』第7集,140頁,1993年,十日町市史編さん委員会)

また、実用新案登録としては、このようだそうです。
緯糸に括り染あるいは捺染加工を施した多数層紋織物」(同上 151頁)

ここで多数層という新しい言葉を見るのですが、その構造についてはまだよくわからず勉強中です。

それから、2の、紋の上に乗せる、ですが、これは未だによくわからない表現です。ある関係者にお訊きしたら、紋様の型紙を緯糸の上に置いて捺染する、というお話でした。あるいは、型紙を使って文様を捺染することを「紋を乗せる」という言い方もありますが、「緯糸を紋の上に乗せる」というから・・・・う〜〜ん。これもまた勉強中。

さて、上記の滝澤さんによると、十日町の織物生産数は、このマジョリカお召生産前の昭和30年から最盛期の昭和37年にかけて約2.1倍(十日町織物工業協同組合の統計から。)になったようですから、大変なものだったことは確かなようです。しかし、悲しいかな、その後は他の産地から粗悪な模倣品や化学繊維を用いた廉価品が生産されるようになり、昭和40年における十日町の生産数はなんと0。0とかいてゼロと読む。諸行無常の響きです。

当時の織物の全国規模の競争がいかに激烈なものだったかを教えてくれます。


学芸員A
posted by 十日町市博物館 at 14:58| Comment(0) | 日記

2017年10月01日

笹山の土器が芸術になりました −日本陶芸協会賞

みなさんこんにちは、学芸員Aです。

ちょっと前に京都市立芸術大学にドナドナされていった笹山遺跡の土器。

火焔型土器とはまた違う、栃倉式土器という、

ある意味で燃えていた土器(縄文ZINより)でした。

その土器にインスピレーションを得た市立芸大の重松あゆみ先生が作品を作られまして、

なんとこの度、

日本陶芸協会賞を受賞されました!

ぱちぱちぱち!!

おめでとうございます!!

笹山遺跡の成果が何かの「賞」に結びついたことは、かつてあったでしょうか。

科研費の関係もあるので、成果が出るのは何年も先のことかとのんびり構えていたので、

その早いニュースに「え!?」とちょっと驚いてしまいました。

すこしだけでもお役に立てたのかもと思うと、嬉しくなります。

パンフレットを見ると、あ、渦巻文、とわかる人はわかるはず。そこがいい。

日本橋でその展覧会が開催されていましたが、

すでに終了。

無念。



学芸員A
posted by 十日町市博物館 at 17:38| Comment(0) | 日記

2017年09月30日

あの頃青春グラフィティ

みなさんこんにちは、学芸員Aです。

「あの頃青春グラフィティ」なる番組があるそうですね。

不肖ワタクシは全く知らず、

博物館の同僚たちは「有名なんだよ」とひとこと返事をくださいました。

その奥に「え、知らんの、アホちゃうw」的なニュアンスが

含まれていたような気がするのはワタクシの被害妄想かもしれません。

本日、その有名な「あのグラ」の公開生放送が、博物館ロビーで行われました。

たぶん凄いことです。


さかのぼること1日。つまり昨日。

「あのグラ」のすごさやファンの熱心について、

準備協力のための博物館にいらしていたFM十日町のパーソナリティ、

佐藤さんからとくとくと聞きました。勉強になりました。

2017-09-30_anogura1.jpg

上の画像には勉強させてくれた雰囲気が充満しています。多謝。


その後、所用で向かった笹山遺跡に、なんと偶然にも

「あのグラ」メインパーソナリティの岡野美和子さん御一行が。

縄文文化の下調べのために来た、とか。勉強熱心でいらっしゃいます。

僭越ながら、ひととおりのレクチャーをさせていただきました。


ところで会話の中でこんなやりとりがありました。

岡野さん「縄文名?」

A「ええ、笹山じょうもん市に来る人は大体縄文名をもっているんですよ」

岡野さん「学芸員Aさんは?」

A「●●●●●●です。」

岡野さん「へー凄い、私にもつけてください」

A「じゃあ、明日、また」

と、軽々しくそんな約束していたのですが、

その明日、つまり今日はすれ違いになってしまい、結局会えませんでした。

2017-09-30_anogura2.jpg

だって放送中、凄い人の数だったんです。大盛況。狭いロビーに80名余とか。

怖いもの知らずのワタクシは後ろから「おおい!!岡野さんの縄文名考えてきたよ〜!」

と声をかけようかと思ったのですが、

なにかコアなファンたちのただならぬ雰囲気が感じ取れたので、やめたのでした。

せっかく考えたのですが。残念。

どんな名前か。

アイヌはやたらとアイヌ名を人に教えないそうですね。

だからというのも変ですが、縄文名も非公開です。

関係者の皆さん、お疲れ様でした。


学芸員A
posted by 十日町市博物館 at 17:18| Comment(0) | 日記