2019年07月04日

博学連携プロジェクト 交流学習会

みなさんこんにちは学芸員Aです。

今週の月曜日に、博学連携プロジェクトの交流学習会が開催されました。

会場はこの博物館と隣りの総合体育館です。

博物館では、展示室での解説付き見学、ロビーでのミニ土器作り体験、講堂的な場所での日本遺産に関する解説の聴講、これを班ごとにローテーションで巡るという活動でした。なにせ児童が180人ほどいるので、大にぎわい。博物館では静かにしようねという声すら届かない、、、と思いきや、「その時」になればさすが6年生、ちゃんと静かに学習していました。

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(K子先生の軽妙トークはいつも冴えてます)


ワタクシは展示室で、馬高縄文館学芸員Nさんと分担して解説させていただきました。今年は男子班と女子班とが分かれており、どういうわけかワタクシは男子班だけに解説することになっていました。

だいぶ熱を込めてお話ししたせいか、真剣に聞いてもらえたような気がします。人間の食、性、死に関わるお話になると、皆さん目の色が変わります。大人でも同じ。縄文には、というか考古学には、この手の話がテンコ盛りですから話は尽きません。

ちなみに男子班がもっとも盛り上がる展示物って何か、みなさんご存知ですか。


「石棒」です。


そういえば・・・

旧石器時代の「語り」の貧困さはこの辺にあるのかもしれません。出土資料の問題です。食べ物が検出されることも稀なら、性にかかわるものはないし、死となるともはや、、、。石垣島で見つかっている(増えている?)人骨資料が最大のヨスガ。今後に期待しよう、、、などと、児童に解説しながら要らぬことを考えていました。

さて、総合体育館に移動してからは、学校間の交流を深めるためのゲームなどが行われていました。

聞けば、11月に開催されるフォーラムまで交流することはないそうです。この事業に協力させていただいてから数年経ちましたが、学校の学習法を理解するにはまだ時間がかかりそうです。大きな人数を動かして、ちゃんと学習(習得)させるということは本当に大変なことなのだと、いつも思います。

みなさんお疲れさまでした。


学芸員A
posted by 十日町市博物館 at 15:59| Comment(0) | 日記

2019年06月25日

展示には目玉

みなさんこんにちは学芸員Aです。

先日、全日本博物館学会の大会が県立歴史博物館にて開催され、そのオプショナル・ツアーに十日町市博物館の見学が組み込まれました。2020年6月に開館予定の博物館と、現在の博物館の両方を見学するというものです。

学会というものが何をしているのか、一般の人はあまりご存じないと思います。だいたいは、総会、研究発表(口頭、ポスターの別がある)、オプショナル・ツアー、懇親会で構成されることが多く、最近はミニ・コンサートなどが付属することもあります。株主総会みたいに、人が集まらないと総会が成立しない可能性が出てくるから、と勝手に思ってますが、単純にそのほうが楽しいからかもしれません。

さて、今回は、戦う学芸員さんに引率された12人の方がツアーでいらっしゃいました。メディアを通じて何度もお顔を拝見している先生なんかもいらっしゃって若干緊張、、、、しませんでしたが、それなりに身の引き締まる思いでした。

新しい博物館では、さすがといいますか、みなさん興味津々。開館前の博物館を見る機会って普通はありませんから、「だよね」と思いましたが、ウォール型展示ケースの下の構造を見ていたのには若干閉口しました。

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新博物館の裏の裏まで見た後は、現博物館の展示室へ。

「これは新しい博物館にももっていくんですか。」

最初の展示物のところでそう尋ねられたのは、信濃川で使っていた長舟(ながふね)。中洲の畑への行き来や、砂利の運搬、漁労などに使われていたものです。長さ約10m。でか。

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昭和41年(1966年)製ですので新しいと言えば新しいですが、展示物の中では一番大きく、展示に至るまでの労力の大きさ、保存(処理)の状態の良好さ、語りうる民俗の豊かさ、大きさから来るインパクト、いろんな意味で結構いい展示物だと思っています。イケメン船頭(主観)が乗っていることは得にポイント高いです。

だから、コレに注目いただけて嬉しかったです。それに、ちょっと見ただけで「大きいね、これ。さすが信濃川。」と仰っていた、その見る目には驚きました。勉強になります。

舟と言えば、最近こんな記事が目につきました。

 北海道新聞
 <ウポポイ 共生の森開設へ>厚岸の丸木舟、展示の目玉に 江戸時代製か保存状態良好

江戸時代のアイヌの使った外洋舟で、これが新しい国立博物館の目玉展示になる、というのです。

収蔵すべきもの、展示すべきものの価値を評するのが学芸員。町の教育委員会が別の調査の過程で泥に埋まっていた船に気がつき、なんと発掘して持ってきた(当然かなりの金額がかかります)こともそう、それを目玉に選んだ方もさすが。

信濃川の長舟についてお尋ねになった方ももちろんです。なんといいますか、みなさんと価値を共有できていることが分かって、ちょっと嬉しかったです。解説させていただきながら、いいひと時を過ごさせていただきました。

引率の戦う学芸員Tさんはじめ、みなさんに感謝です。


学芸員A
posted by 十日町市博物館 at 10:54| Comment(0) | 日記

2019年06月18日

不思議不思議の遺伝子

みなさんこんにちは学芸員Aです。

ニュース的なネタが続きますが、どうかご容赦ください。

「縄文と弥生」の比較っていうと、いつもニューストピックにあがります。それだけみなさんの関心が高いのだと思います。

最近はDNAの解析技術が格段に向上したおかげで、このトピックへの寄与が非常に大きくなりました。最も新しいニュースはこれでしょうか。

東京大学大学院理学系研究科のプレスリリース



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        (上記ページ図3より)


内容を要約すると、

現代の日本人男性345名のY染色体の全塩基配列決定と変異解析をしたら、日本人のY染色体は7つの系統に分かれ、そのうち「系統1」が縄文人由来する、と。で、「系統1」に含まれた122人の縄文人由来のY染色体を対象に遺伝子系図解析を行ったら、縄文時代晩期から弥生時代にかけて人口が急減したのち急増したことが判明した。

というものです。

あーむかしならったかもしれない、わいせんしょくたいとか、えんきとか。。みたいな感じかもしれませんが、そんなのわかんなくてもいい感じですね。でもよくみるといろいろと不思議なところがあります。

たとえば現代人を調べて過去のことが分かっちゃうという遺伝子系図解析の性質で、しかも「人口が増えた減った」ということと、「時系列上の位置を特定」できてしまうということだと思います。すごいことなんですよね、たぶん。

しかし、なんで年代が分かるんでしょう。物理学や生物学や地質学や考古学が言っている年代は、物理的な性質から測定したものか、または暦年の記録された「事件」との関係から推定されますが、これらとは違う気がします。遺伝子の変異の速度が一定と仮定するアレでしょうか。

それに、縄文時代の人口がほぼ全部フラットなのはなぜなんだろうなとか、だいたい「縄文人」ってなにもののことなのか、とか。だって縄文人って、もっと前の旧石器時代に大陸から来た人々が定着したもので、実際は旧石器以来の人々の系統にあるわけで、互いを分けているのは文化的な指標によるものです(主に縄文土器の有無)。縄文時代の開始とともに遺伝的に大きな変動があったのならいいのですが、文化的なカテゴリとしての「人」と遺伝的なカテゴリとしての「人」とはそもそも違うのではないかという単純な疑問もあったり。

うう〜〜〜ん、不思議の国を覗きこんだ気分です。


学芸員A
posted by 十日町市博物館 at 11:50| Comment(0) | 日記