2017年11月09日

カップヌードル・イン・火焔型土器?

みなさんこんにちは、学芸員Aです。

NISSINさんのカップヌードルっていえば、

食べたことがない人なんてこの世にいるのだろうかと思うくらい超メジャー。

そのNISSINさんがなにやらコラボしてこんなものを作ってくれてました。

国宝応援プロジェクト "カップヌードル専用縄文土器" がついに完成!「縄文DOKI★DOKI (ドキドキ) クッカー」を2017年11月6日(月)に限定発売



11月6日って、もう過ぎてんじゃん。

そう思ったそこのアナタ!



全くの正解!



なんのヒネリもありません。すみません。遅きに失するとはこのこと。

このところ忙しくて、気にはしていたもののアップする気力が湧かず、

今に至ったわけです(言い訳)


で、このドキドキクッカーですが、お値段が高いんです。

そんなに素直に「高い」と書いたら、きっとどこかで角が立ちそう。

でも、

その金額を聞いたら99.99パーセントの方にそう思っていただけると確信しているので、

迷いなく書いてしまうのです。

いくらか。



55,000円(税抜き)



ね、高いでしょう。

ただ、世の中にはこれを「高い」とは思わないかたが極々わずかにおられるようです。

限定5点のこれが、なんと・・・・発売直後に売り切れたそうなんですよ。



まーじで?



博物館の係長がそう呟いたような気がしますが、気のせいだったらごめんなさい係長。

でも係長がそう呟かなくても、99.99パーセントのなかの誰かがそう呟いてくれるはずなので、

なんら心配いらないと思うわけです。


さて、このカップヌードルを入れる容器ですけど、

発売前にこういうのを作った方がいらっしゃったとのことです。

松本ジュンイチローさんの作品

同じことを考える人がたくさんいるのか、あるいはアイディアのパ○リなのか。

もちろんそれは謎。

縄文らしくていいですね。


学芸員A
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posted by 十日町市博物館 at 16:47| Comment(0) | 日記

2017年10月28日

三郷小学校さんのPTC

みなさんこんにちは、学芸員Aです。

博物館にお隣の上越市から三郷小学校6年生がPTC学習で来てくれました。

PTCってなんぞや?

 Parents保護者 & Teachers先生 & Children児童

のことだそうで、

これらのメンバーで一緒になってレクをしたり学習したり、そんな感じのようです。

今回は、先生が博物館隣の西小学校でお勤めされていたこともあり、

十日町市を活動の場所に選んでいただきました。

コースのなかに、博物館→情報館→笹山遺跡という部分があり、

博物館と笹山遺跡では、ワタクシが案内役をつとめました。


IMG_1881.jpg

上越市からお越しのことだけあって、保護者の方も十日町市をご存じないので、

いつもの授業とは一味違う解説となりました。半分大人向け、のような感じです。

それでも、笹山縄文館で縄文土器をもって撮影、という時には誰しも童心に返るのでしょうか、

全員が子供のようでした。

なんだかこちらも楽しいひと時を過ごすことができました。


学芸員A
posted by 十日町市博物館 at 10:19| Comment(0) | 日記

2017年10月23日

マジョリカお召

みんさんこんにちは、

最近新しい記事を書いていないなと思っていたら、

10月も残すところあと1週間という今になって初めて、

今月はまだ一回しか書いてなかったことに気がついた学芸員Aです。

奇跡の月イチ更新を成し遂げるところでした。

とはいえ、このところアップできなかったのにはちょっとした言い訳があります。

それは、いくつかのゆるい調査をゆるゆると進めすぎて、

いずれもまとまった結論や詳細を調べ切れていないというものです。完全に言い訳です。


というわけで、その「ゆる調査」について少しだけ開示しようと思います。

「マジョリカお召」について。普通は知りません。私も知りませんでした。

ご存知の人は、相当な着物通。

ネットで検索すると、だいたいはこう書かれています。

(以下、着物用語大全より引用。)

昭和に「マジョリカ御召」といって大ヒットした御召があります。このマジョリカ御召も新潟県十日町を中心として、昭和34年から約4年間に渡って生産されました。 洋風の柄と銀通しの、キラキラした御召で、地中海のスペイン領マジョリカ島特産のマジョリカ陶器をイメージして織られたといいます。色数の制約が多く、派手なものを作れないという織物の弱点を、緯糸を絣捺染して紋の上に載せる発案で、多色使いに成功された画期的な織物とされます。マジョリカ陶器のようにカラフルで明るい色調が特徴です。

(引用終わり。)

マジョリカお召は博物館に常設展示もしていますし、画像検索すれば山のように出てくるので、見た目の特徴は百聞は一見に如かず、一目瞭然です。なんだかキラキラした、私の目からは少しくどい印象を受ける絵柄の絹織物です。ちなみに高級な絹織物のことを「お召」というらしいです。徳川家斉に献上したからとかなんとか。

でも、もっと製造工程上の特徴のくだり、恥ずかしながら織物のことを全く知らない私は全くわかりませんでした。
何がわからなかったかというと、

 1 緯糸(よこいと)を絣捺染(かすりなっせん)

 2 紋の上にのせる

 3 上記によって、色数の制約を乗り越えて多色使いできる

この全て・・・。それでここ最近、短期集中的に勉強しているのですが、やはりわかりづらかった、というのが正直なところです。

1は、経糸(たていと)と織る前、緯糸だけを並べて、そこにプリントする(捺染という)ことを示しています。鮮やかな色彩を出すための工夫とされています。昭和30年代のこの頃までの技術的な水準を考慮しないと理解できないことです。理由はわかりませんが、この当時、織る前に糸を染めておく「先染め」(絣)では明るい色が出ず、基本的には「後染め」の技法の一つである捺染をすればそれが実現できたらしいことが推測されます。染料の種類や質の違いなのでしょうか。いずれにしても、マジョリカお召は、後染めの技術を先染め的に使うことで色彩的な問題を克服できたようです。

じゃあ、なんではじめから「後染め」にしないのよ。後染めで鮮やかになるなら後染めすればよかったじゃーん、と素人のワタクシは思ってしまうわけですが、そうでもないようです。

このころの後染め(捺染)の技法で綺麗に(微妙なニュアンスでごめんなさい。)染めるには友禅技法があったそうですが、十日町では「まだできなかった」そうなのです。

友禅には手描き友禅と型友禅とがあって、型を使って文様をつける(のせる)のは型友禅。型友禅は、明治年間に合成染料ができたことで生まれた技術だそうですから、染料の種類と質が技法の始まりに影響していることが読み取れます。また、「まだできなかった」ということは、このような技術はやろうと思って一朝一夕に移入できるものではない、ノウハウの世界であることもまたうかがい知ることができます。

そして、この型友禅をすぐに導入できないことから生まれたのが、絣捺染という方法、つまり緯糸だけに捺染してからあとで織る、という逆転の発想だったというわけ、ではないでしょうか、きっと、たぶん、おそらく。織ってからでは捺染できないけれど、緯糸だけなら捺染できる、理由はわかりませんが、そういうものなのでしょうきっとたぶんおそらく。

さて、滝澤英輔氏の「産地改革のさきがけ マジョリカ物語」にこのような記述があるので引用しておきます。

マジョリカお召とは、一言でいえば限りなく染物に近い、派手向きの高級絹織物のこと。模様捺染の経絣又は緯絣とジャカード紋織の両者の特技を組み合わせて、金属光沢のラメを織ったお召。」(『市史リポートとおかまち』第7集,140頁,1993年,十日町市史編さん委員会)

また、実用新案登録としては、このようだそうです。
緯糸に括り染あるいは捺染加工を施した多数層紋織物」(同上 151頁)

ここで多数層という新しい言葉を見るのですが、その構造についてはまだよくわからず勉強中です。

それから、2の、紋の上に乗せる、ですが、これは未だによくわからない表現です。ある関係者にお訊きしたら、紋様の型紙を緯糸の上に置いて捺染する、というお話でした。あるいは、型紙を使って文様を捺染することを「紋を乗せる」という言い方もありますが、「緯糸を紋の上に乗せる」というから・・・・う〜〜ん。これもまた勉強中。

さて、上記の滝澤さんによると、十日町の織物生産数は、このマジョリカお召生産前の昭和30年から最盛期の昭和37年にかけて約2.1倍(十日町織物工業協同組合の統計から。)になったようですから、大変なものだったことは確かなようです。しかし、悲しいかな、その後は他の産地から粗悪な模倣品や化学繊維を用いた廉価品が生産されるようになり、昭和40年における十日町の生産数はなんと0。0とかいてゼロと読む。諸行無常の響きです。

当時の織物の全国規模の競争がいかに激烈なものだったかを教えてくれます。


学芸員A
posted by 十日町市博物館 at 14:58| Comment(0) | 日記