2019年12月12日

重松あゆみ展 なんたび

みなさんこんにちは学芸員Aです。

いま博物館は絶賛引越し期間中。

今日は朝から応接室の壁に額をかけました。

並行を見ていてくれと言われたのでじっと見ていました。見ているだけじゃダメ!と言われそうな気がして、右がちょっと下がってるから1センチあげて、とか言ってみましたが、その直後に、5ミリあげて、とか言って自己嫌悪に陥りました。やっぱ見てるだけにしといた方が良かったような気がしましたが、どうなんでしょう。

さて、京都市立芸大の重松先生の個展が大阪で開催予定だそうで、先日お知らせをいただきました。

笹山遺跡の栃倉式土器を参考にされたデザインの磁器作品。私からすると、もう見るからに栃倉!って感じがするのですが、もちろんこういうのは出土品にないわけです。人間の認知能力というのは不思議なものだなと思います。

縄文の芸術が岡本太郎さんに見出されてから久しいですが、その後の新展開はいまどこにあるのか?その答えの代表の一角が重松先生の作品だろうとワタクシは思います。

是非多くの方にご覧いただけたらと思います。

  会場  ギャラリー白 http://galleryhaku.com/
  会期  2019年11月9日から12月21日まで



学芸員A
posted by 十日町市博物館 at 10:57| Comment(0) | 日記

2019年12月01日

さよなら博物館

みなさんこんにちは、今日は現在の博物館の開館最終日なので
ちょっぴりセンチメンタルな気分になっていたり

、、、しないドライな学芸員Aです。

こういう日はいつもと違うことが起こるもので、
もう既に灯油が切れたり、非番のはずの館長が来たりしましたし、
しかも12月には珍しく空が綺麗に晴れていたりします(←関係ない)。

1979年に開館してから40年。

さきほど年報をひも解いたりして、入館者数の推移を見ていました。
今年11月までの全部の合計をしてみたらこうなりました。


約74万4千人

これが多いのか少ないのかよく分かりませんが、
世界の男性の数が35億だそうですから、
それにくらべると随分少ないことがわかります。
(わからなくていい)

館がスタートして3年目くらいまでは、入館者数は年間2万人くらいでした。
それが次第に増加して、火焔型土器が国宝に指定された1999年には年間3万3千人を越えました。
これが現在に至るまでの年間入館者数の最高記録です。

その後、2004年の中越地震と2011年の長野県北部地震の年に
1万3千人くらいに落ち込む年もありましたが、
逆に大地の芸術祭の年には例年よりも3千人ほど増えるという現象が
3年に1回繰り返し起きていました(トリエンナーレ)。

これを除くとここ数年は1万5千〜1万6千人ほどで推移していたようです。

月別の推移を見ると、2月が興味深い推移を示していました。
2004年に約1300人だったものが、2005年から2012年の8年間、
2月の入館者数が3千人を越え続け、
そして2013年からは約1300人〜2100人に減少していたのです。

2月は大雪のシーズンですので、なにもなければ少ないはずですが、
年間のうちで高い割合を示します。

ひとえに「雪まつり」のおかげでしょう。

だから、上の変化ももしかすると雪まつりと関係があるのかもしれません。
それにしてもなぜ8年間だけ・・・・?
館長に訊いてみたら、こういう回答でした。


「俺が来てから雪まつりの広場のカウントをやめたんだ」


な、、なるほど。

一般的に、博物館の業績評価項目のひとつに入館者数がありますから、
こうした動向の要因分析は今後必要だろうと思います。
またこれから観光がもっと重視されるようになるなら、
ほかの項目も総合的に分析して評価し、
博物館の経営に役立てる日がくるかもしれません。

さて、まだこれから何が起こるか分かりませんが、
閉館のシャッターが下りるその瞬間まで気を引き締めて業務に臨みたいと思います。


学芸員A

●追記
1981年から2019年12月1日(本日)までの来館者数の合計は745,126人でした(1979年・1980年の記録なし)。
ご愛顧いただいた皆様に、心より深く感謝申し上げます。
posted by 十日町市博物館 at 12:08| Comment(0) | 日記

2019年11月28日

硫黄の同位体で産地が分かる?

みなさんこんにちは学芸員Aです。

理化学研究所さんのプレスリリースで、こういう発表がありました。


超微量硫黄同位体比分析を考古学に応用する
−京田遺跡の出土品から赤色顔料を精密分析−

2019-11-28_硫黄の同位体で朱の産地が分かる?.jpg

土器や石器に残っていた朱(硫化水銀)の同位体比を調べたら、朱の産地が北海道の可能性が高かった、というものです。

同じ元素でも中性子の数が違うものがあって、それを同位体といいますね。硫化水銀に入っている硫黄(S、元素番号16)のなかの同位体の存在比率が、産地によって違うことに目を付けて、産地の朱と出土した朱とを比較してみたら、北海道産とわかった(推定した)わけです。


そんな方法があったのか!すげー!


って思ったのですが、概要だけ見てるとどうも「産地によってわかることがある」くらいの分析だとわかって、平静を取り戻しました。

北海道の産地のうち2つだけが、δ34S(デルタ・サルファー 34:硫黄34の偏差)がとびぬけて高いこと(+8.4‰と9.4‰)が拠り所なのです。

ほかの産地は、-8.0‰の丹生(大分県)、-2.4‰の大和(奈良県)で、それ以外の産地は、平均値は違っても互いに近い偏差なので、土器についた朱の偏差がこれらに近い場合は「絞り込めない」結果になることが予想されます。
この互いに近い偏差(-4.5〜-4.8‰)になる産地は、北海道、徳島県、大分県の産地に1箇所ずつあるので、土器の朱がこれらに近い場合は、それらのうちいずれかのものと結論されると思いますたぶん。

ただ、適用範囲に大きな制限があるとは言っても、これまで全く分からなかったものが分かるようになるのはすごいことです。それに今回の島根県出土の朱が、わりと近いところにある大産地(徳島)のものではなく、ずっとはなれた北海道産のものだったことも衝撃です。

糸魚川のヒスイが沖縄や北海道にもいくくらいですから、縄文時代後期から晩期に広域ネットワークが発達したことは言わずもがななのですが、その背景にはきっとコミュニケーションの取り方の変化だとか、海洋交通の事情(技術)の変化なんかが絡んでいるんじゃないかとモクモクと妄想したりするわけです。単なる赤い顔料と思いがちですが、縄文人にとっては非常に大事なものだったのでしょう。

あ〜〜、、、「分かる」ってなんて素晴らしいんでしょう!

そういえば、今年度の笹山遺跡の発掘で、鮮やかな赤色が塗られた土器の破片が出土しました。あの鮮やかさはベンガラではなく、たぶん朱です。笹山ではけっこう珍しいです。分析できたら素晴らしいんだけどなあ・・・・理化学研究所に訊いてみようそうしよう。


学芸員A
posted by 十日町市博物館 at 16:10| Comment(0) | 日記