2014年07月11日

縄文サミットでアピール:火焔型土器を〜聖火台に

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こんにちは十日町市博物館アピール課の学芸員Aです。

昨日、三条市の諸橋轍次記念館にて、

信濃川火焔街道連携協議会主催の「縄文サミット」が開催され、

火焔型土器を東京オリンピック・パラリンピックの聖火台に、

とのアピール宣言が記者発表されました。

画像に映っているのは、

左から三条市長、津南町長、長岡市長、小林顧問、十日町市長、新潟市長さんです。

このブログでもたびたびご紹介してきましたように、

十日町市では小林顧問の発案以降、昨年度から活動を続けて来ましたから、

また一つ前進したということで、嬉しい限りです。

報道関係においてもご紹介いただいたご様子。感謝です。

日テレnews24
※期限切れ

BSN
※期限切れ

NST
※期限切れ

毎日新聞jp
※「炎」→「焔型」と読み替える必要があります。※期限切れ

新潟日報
※会員登録が必要です。※期限切れ

ところで、会見終了後、今回の会議の議長・司会をお勤めの三条市長さんが

長々とテレビのインタヴューを受けていました。

 記者さん「このアピール宣言が三条市で行われたことには意味があるんですか」

 市長さん「たまたまです!持ち回りなので!ははは(笑)」

大変正直なお方。前回のサミットでも面白かったのですが、今回はファンになりかけました。

次のサミットも楽しみです。

事務局となった三条市の担当者さんたち、大変お疲れ様でした。


学芸員A
posted by 十日町市博物館 at 12:39| Comment(0) | 火焔型土器を聖火台に!

2014年06月29日

小林達雄さん、火焔土器と聖火台について語る。

笹山じょうもん市2014で行われた「縄文ミニトークライブ」。


小林達雄さんのお話をもう一回聞きたい、そんな声を頂戴しました。感謝。


実はYouTubeにある方がアップしてくださったので、ここに紹介しておきたいと思います。


 

https://www.youtube.com/watch?v=nkAbx3zbRuw より

司会:(火焔型土器を聖火台の姿にしようという運動の)その中身について小林先生にお伺いできればと思います、よろしくお願いします。

小林:今から一万五千年前に縄文土器が日本列島に姿を現しました。これは地球上の、いわば人類史のひとコマというだけでなく、まさにそういうことが日本列島に起こったというのは、奇跡に近いような、そういう思いがいたします。

まず第1に、土器を人間が作り始めた、その段取りがよくわかっている地域があります。それは西アジア、中近東ですね、イラン・イラクのあのあたりですが、あそこの土器でも縄文土器よりも3千年以上新しいです。つまり明確に、縄文土器は世界最古の土器であるということが言えると思います。これは火焔土器のみならず縄文土器全体の歴史的な人類史上の位置づけにとって重要なエピソードということになろうかと思います。
それと、日本列島、縄文土器の発明の舞台ですけれども、これがまたユーラシア大陸のずっと端っこの極東の、ぎりぎり端っこの、そこから蹴り出されたような日本列島、小さな島で、それほど大仰(おおぎょう)な大事件が起こっているわけですが、これも不思議なことであります。もちろんその理由を明らかにすることは出来ないのですけれども、たぶん一つは、当時日本列島には遺跡が地球上のどの地域と比べても最も多い地域でした。遺跡の数はそのまま人口に正比例するとは言えないかもしれませんが、ほぼ比例すると考えてそれほど大きな誤りはないと思います。つまり日本列島は人が多かった。人が多いと活気づくんですね。過疎地が寂しくなるのは活気がなくなるんです。で、東京があれほどにぎやかになるのは、活気に満ちあふれているんですね。そういうところから歴史的に、いろいろ地球上の各地で新しいことや他では見られないようなことが率先して起こっているんです。いわば、日本列島とはそう言う場所だったということ。

それと日本列島が島国だったということで、周りが海に囲まれて温暖な気候です。それがまた生態学的な植物の種類を増やして、それに頼っている昆虫類、そしてだんだん大きな動物になっていくわけですが、シカやイノシシにいたるまで、豊かな植物、動物相が存在していたんです。それが一つの下地になっているんじゃないかというふうに思われます。

それにしても、縄文土器は北は北方四島から、北海道、みなみは南西諸島の沖縄までずっと行き渡っています。それぞれの地域でちょうど方言のように、言葉の方言のように、個性的な様式が作られるんですね。だから全く一枚岩ということではないんです。あちらこちら地域的な地方色豊かな土器が作られているわけです。そういう地域的な特徴を持っている中で、なによりも共通しているもの凄い特徴を結ぼうとするわけにはいかないんです。それはなにかというと、もともと縄文土器は入れ物です。容器です。モノを出し入れしたり、入れた具材を煮炊きしたりするということは、それは入れ物であるわけです。その入れ物には実は突起というものは必要ないんです。縄文土器は突起と持っています。ここの火焔土器は典型的なものです。4つの大仰な突起が口縁につくんですね、縁のところにつくわけです。モノの出し入れにはあの突起は邪魔者以外何者にでもないんです。ところがそれをこだわってつけている。これは火焔土器だけじゃなくて、縄文土器の仲間、北海道から沖縄まで、みんな例外なく突起というものにこだわっています。これが縄文土器の特徴なんですね。朝鮮海峡を隔てた朝鮮半島にはありません。同じ時代に。沢山の土器をやっぱり焼いて作っているんですけど、ありません。沿海州にもない中国大陸にもないんです。縄文土器だけが突起にこだわっている。確信犯なんです。それがずっと続いている。これはおそらく突起に彼らの思いのたけを表現した。その現れではないかと思うんですね。だから実は縄文土器、それを代表する火焔土器というのは、単なる器の形のデザインの問題を超えて、文化の核心に関わってくる、そう言うものであります。そういうものを、先ほどちょっとお話しさせていただきましたけれども、縄文土器は縄文文化に所属するものです。縄文文化は日本文化の源流でして、まぎれもなく縄文文化そのものも日本文化の歴史的な一こまを大きく飾るものです。その中に存在する縄文土器は、まさに縄文文化そのものであり、それこそ浮世絵とも肩を並べるような、そういう位置にあるという風に言うことができます。だから、縄文土器のしかも代表的な火焔土器を聖火台にというのは、単なるデザインにこんな面白いのが日本にあったんですよということをいうのではなくて、日本文化のひとつを世界に発信するというような、そういう意味でこの聖火台に火焔土器をというのは意味があるというふうにわたくしは考えております。


司会:なるほど、大変大きくうなずけるお話でした。日本文化の源流は縄文時代にある。そして縄文時代を最も特徴付けるのは縄文土器のそのまさにその突起にある。とすれば、火焔土器こそが日本文化の源流を代表できるんだ、というお話だと思います。

学芸員A

posted by 十日町市博物館 at 17:11| Comment(0) | 火焔型土器を聖火台に!

2014年06月09日

火焔土器が聖火台に?

こんにちは。半移動型非縄文人の学芸員Aです。

昨日、中条地区の笹山遺跡で「第15回笹山じょうもん市2014」が開催されました。

今年は国宝「新潟県笹山遺跡出土深鉢形土器」の指定15周年記念ということで、

文化財課・博物館の広報担当として缶バッヂ作りに勤しみ、じょうもん市にてリリースいたしました。

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2種類あるのに一人一個の約束。究極の選択・・・。

分かりにくいけどキュートな方(左)と、分かり易いクールな方(右)と、あなたはどっち?

全部で1430個、配った結果は・・・

 どるるるるるるるるるるるる(ドラムロード)

じゃん!

 クール  594個!
 キュート 836個!

だいぶ差がつきましたね。

これは阿部Mさんが子ども中心に配ったバイアスかかっているようですが、

どちらかというと男性やお年寄りがクール版を選んでいたようだと、

配った職員が申していました。広報にとってはとても参考になる情報です。

ところで今回の夜祭りは第1回、第2回、そして第8回と第10回にも開催されたことがあるそうです。

久しぶりの開催となったのは、やはり15周年記念の節目だからというのと、

火焔土器を聖火台に!運動のムーブメントに一役買いたいという思いから。

縄文の夜祭り、僕は初めて見ました。夜の舞台は幻想的でした。

巨大火焔型土器にともされた火、とても良かったです。

企画した方の思惑はぴたり、といったところでしょう。

5時過ぎに十日町に来てくださった小林達雄さん。

「9時まではとても居られません」そう仰ってましたが、

結局ほぼ最後までお付き合いいただきました。

皆さんのおもてなしの心がお足を引き止めたのかもしれません。

楽しめたということならば、なんだか僕まで嬉しく思います。

翌日の本番でもみなさん疲れ知らずで、ハッスルしてました。

大成功だったのではないかと思います。

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学芸員A
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posted by 十日町市博物館 at 16:05| Comment(2) | 火焔型土器を聖火台に!