2018年02月20日

マイナンバープレート

みなさんこんにちは学芸員Aです。

雪まつりを境にして春へ向かう、そんな感覚があります。

お盆や夏祭りを境にして夏から秋へ向かうのと同じようなものでしょうか。

心なしか、わずかに見える晴れ間が春の兆しのように見えるものです。


それはそうとご当地ナンバープレートの案件が、

そこここでちょっとした話題になっていてよく耳にします。

こないだ言った美容院でも、雪まつりの雪像作りの会場でも、この話題でした。

パブリックコメントのまとめと回答も公表されていますね。



周囲で話題に上るたび、前にここで書いたような話をするのですが、

必ずといっていいほど驚かれます。

ワタクシの話の要点はこんな感じ。

 1 10世紀には「イオノ」または「イオヌ」という郡(こおり)があった

 2 「伊乎乃」または「魚沼」の漢字が当て字され、「いおののこおり」と読んだ

 3 イオノには、現在の小千谷市、魚沼市、南魚沼市、湯沢町、十日町市の一部、津南町が入っていた

 4 「魚沼」の漢字がのちに「ウオヌマ」と読まれ「魚沼郡」(うおぬまのこおり)となった(?〜江戸時代)

 5 明治時代から北魚沼郡(きたうおぬまぐん)、南魚沼郡、中魚沼郡ができ、十日町市は中魚沼郡だった

これらのうち、1・2に驚くのは普通ですが、逆に驚かされるのは、

5の事実のうち、十日町市が中魚沼郡に入っていたことを知らない方もいるということ。

もちろん若い世代です。

なんとなく博物館としての責任を感じたりするので、

あらためて十日町についてまとめて言うと、こういう変遷になります。

越後国(えつのしりのくに)
 伊乎乃郡または魚沼郡(いおののこおり)(平安時代:8?〜12世紀:)

越後国(えちごのくに)
 魚沼郡(波多岐荘→妻有荘)(平安〜戦国時代)
 魚沼郡(妻有組)十日町村(江戸時代初期)
 魚沼郡(十日町組)十日町村(江戸時代)

越後府〜柏崎県〜新潟県(詳細は省略します)
 中魚沼郡(なかうおぬまぐん)十日町村(1869年〜)
 中魚沼郡十日町(1897年〜)
 十日町市(1954年〜)昭和の大合併
 十日町市(2005年〜)平成の大合併

十日町が「魚沼」だった期間は、8世紀から1954年までの約1200年間に及び、

行政的な名称としての「魚沼」でなくなったのは、ここ60年間くらいの話です。

だから現在高齢の方は「魚沼」の名称にある程度の馴染みがありますが、

それより若くなるとだんだん馴染みを感じなくなるのかもしれません。

ナンバープレートがどうなるかはわかりませんが、今回の議論が

各人が地域的な枠組みとアイデンティティを問い直すいいきっかけに

なればいいなと思います。


ちなみ、学芸員Aの意見はどうなのかとよく訊かれるのですが、

やっぱり立場があるので言ってはいけないことも多いわけです。

だから真っ当な職員ならこういうのが吉なわけです。


雪国魚沼サイコー!!!


でもですね、しょせんは人の子です。

まっすぐそう思えるかというと、そうじゃない時もあるじゃないですか。

だから、懐に何をも抱かず、あたかも世の中の情勢などまるで知りませんよという体で、

申し上げることができるとするならですね、

この地域のナンバーは、ズバリこれだ!、と思うわけです。










火焔







いやいや懐に抱いてるって、思っ切り。


学芸員A
posted by 十日町市博物館 at 12:05| Comment(0) | 日記
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