2017年08月16日

火焔型土器とヒスイの美意識

みなさんこんにちは、学芸員Aです。

お盆がらみでお客様が大変多くみえます。

そうすると窓口で質問なさる方もちらほらおられ、

幾度かご対応させていただきました。


「火焔型土器とヒスイと、なにかの美意識が繋がってるんですか」


そんなご質問もいただきました。

とても夢のあるお話なので、

キラキラ光る素敵回答を繰り出したいと思う反面、

考古学的にわかっている事実は冷たいものです。よくあること。

両者が同じ時期に流行したことは間違いありません。

でも、それ以上となると、互いの関係はよくわからないというのが実態です。

なんせ、火焔型土器の消費地はほとんど新潟県内に収まるのに対して、

ヒスイ製の装飾品は北は北海道、南は沖縄までわたってました。

火焔型土器を閉鎖的と言えるならヒスイは実に開放的。


こういうと、両者の対照的な役割が、

実は補完しあう関係に置かれていた可能性を暗示するかのようです。

でも、

ヒスイ製装飾品の生産地は糸魚川であって、

火焔型土器の中心は信濃川流域。中心にズレがあるのです。

信濃川流域の人々は、むしろヒスイ製装飾品の受け手の立場です。

どういうことなのでしょうか。

そんなわけで、火焔型土器とヒスイとの美意識のつながりは、

いまだ霧に包まれている、というところです。


もちろん、この霧を払うための個人的な腹案は、秘密です。

そんな案が本当にあるかどうかも、秘密です。


学芸員A
posted by 十日町市博物館 at 17:52| Comment(0) | 日記
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