2020年01月27日

縄文衣服の推測について

みなさんこんにちは学芸員Aです。

いま業務の中で研究的に取り組んでいることがいくつかあります。

その中で一番苦労しているのがこれ。

「縄文時代の衣服の推測について」

ご存じのとおり、衣服は土中で腐ってしまうので、まとまった形の出土品がありません。だから当時あったような形を「復元」することはほとんど不可能でして、せいぜい「推測」というのが精一杯です。

さて、衣服といえば編物です。哺乳類や魚の革もあったでしょうけど、編み物も多いと思います。
編物には大別して植物繊維を撚った糸を編んだもの=布と、蔓とか樹皮とかを糸にせずに編んだもの、例えば籠とか、があります。両者の組み合わせもあります。布は、糸の段階で繊維をツイストするので、その分だけ手間(工程)が多いとしても、最終段階は蔓や樹皮とおおよそ同じような組織を作り出すことになります。布は籠ものは似たようなグループだといえばいいでしょうか。だから、衣服は布でも、籠ものも参考になるんじゃないかと思います。

●漆糸が緯糸として使われた

縄文人がつけていたことがわかるもの、という意味で日本で唯一の編み物が北海道にあります。垣ノ島B遺跡出土の漆糸を使った編物です。墓の遺体痕跡の両肩部に乗っていました。しかも9000年前!

これは世界的にみてもすご〜〜〜〜〜〜〜い資料です。

 【世界遺産】函館市の構成資産について

この製品は肩当てと理解されているので、衣服とはちょっと違いますが、漆をしみこませた糸を密接して緯糸(よこいと)につかったもののようです。ほかが腐って残ってないので全体がわかりませんが、緯糸だけでは形状を維持できないので、たぶん経糸があった、つまりは編物だったのだろうと思います。

赤漆をしみこませた糸の使用方法が緯糸だったというところがポイントです。
かねてより漆糸は刺繍糸として利用されたと理解する向きがあるのですが、その確実な証拠はありません。しかし垣ノ島B遺跡から得られた漆糸は、緯糸に使ったという証拠といえそうなので、証拠能力の強さという意味で重要です。実は、籠でも樹種・色調の異なるヒゴを組織の境目などに用いて意匠の一部や文様にしている例があります(東名遺跡)。布でも籠でも、色が基礎組織に組み込まれているわけです。

色の区別がない(わからない)場合でも意匠を見ることができます。籠ものに複数の編み方が組み合わされて立体的な模様がつけられることがあるのはもちろんですが、最近出土した北海道の編布でも異なる組織をつなぎ合わせていたことがわかっています(柏木川4遺跡)。

こうしてみると、模様は第一に編み物の基礎組織で行うもので、そこに色を組み込むことがある、という理解が可能です。たぶん。


 衣服かもしれない布・・・北海道埋蔵文化財センター テエタ


●編み組織から

この事実を踏まえて次に考えるのは、衣服の実際の模様です。
縄文時代の模様は、土器、土偶、土製品、あるいは籃胎・土器胎漆器など多くの物質文化に見ることができ、考古学者はこれを文様といいます。特に土偶は人間に近い形をしているので、衣服の模様を考えるにあたっても土偶の文様を参考にする向きがあるかと思います。それは決して間違いではないでしょうが、編み物製品の基礎組織による模様と、土器や土偶の文様に共通点が多いかどうかが問題になります。雑感としては多くない、というか少ないです。

たぶんですが、少ないながらも刺繍による模様もあったと思いますし、後塗りや後染めがないとはいえません。むしろ刺繍や後塗りを使えば、自由に曲線を描けたりするので、本当に土偶や漆器の文様と似た模様が施されていた可能性もあります。ただ、まだその証拠がほとんどないので、とりあえずは編み物のパターンを考えるところから始めるほうがいいのではないかと思います。

●模様のタイプ

編物には、直線、直線を元にしたギザギザ模様、ひし形模様などの幾何学模様が好まれます。とくに籠のような、構成材に幅がある場合は、構造の制約が強く働くので、そうなりやすいのだと思います。

縄文時代の出土遺物ではあまりにも情報が限られているので、今から3000年前を遡る衣服の出土例を世界的に探索してみましたたら、編物・織物の模様はみんな直線の組み合わせで構成されていることに気がつきました。先染めの糸を使う例もありましたが、この場合は編みの組織を変えずに直線的に編んでいるだけでした。

それでも情報がかなり少ないので、古風な習慣を色濃く残している原生民族を概観してみたのですが、やはり編み物レベルでは直線を使ったパターンしかありませんでした。探し方がわるかったらごめんなさいなのですが。曲線模様は織物や刺繍、それと織布の縫い付けによって実現する例がほとんどかと思います。

●色を考える

染めた糸は見つかっていませんが、赤い漆塗りの糸はあったので、異なる色調を編みの組織に組み合わせるという考え方は存在したといえます。(ちなみにペルーでは6000年前の染め糸をつかった編布が見つかっています。)

この仮定の上にどんな色があったかを勝手に考えます。染めには「媒染」という、金属イオンを利用して色を定着させる技術が必要、というよりあったほうがたくさんの色を使えるので、それがどこまで知られていたかが重要になります。手っ取り早く無媒染でも染められる染料(樹種)の発見 and/or 割と簡単にできそうな灰汁を媒染に利用する技術くらいは最低限あってよさそうな気がします。灰汁はドングリ等の渋抜きに使われていたと考えられています。

当時利用されたことがわかっている植物種から、無媒染か灰汁媒染によって染めに使えるものを選び出して候補を絞っていくと、黄、紫、青、緑など、結構いろんな色があることに気づかされます。その色はさほど発色のいいものでなく、思うよりも淡い色調だったかもしれません。ゴワゴワになりそうな赤漆の糸が編み物に使われた理由は発色の良さにあったかもしれないかもしれません(テキトー)。

さて、肝心の衣服の形状が一番の問題ですが、つづきはまたいずれ。


学芸員A
posted by 十日町市博物館 at 12:12| Comment(0) | 日記