2019年11月28日

硫黄の同位体で産地が分かる?

みなさんこんにちは学芸員Aです。

理化学研究所さんのプレスリリースで、こういう発表がありました。


超微量硫黄同位体比分析を考古学に応用する
−京田遺跡の出土品から赤色顔料を精密分析−

2019-11-28_硫黄の同位体で朱の産地が分かる?.jpg

土器や石器に残っていた朱(硫化水銀)の同位体比を調べたら、朱の産地が北海道の可能性が高かった、というものです。

同じ元素でも中性子の数が違うものがあって、それを同位体といいますね。硫化水銀に入っている硫黄(S、元素番号16)のなかの同位体の存在比率が、産地によって違うことに目を付けて、産地の朱と出土した朱とを比較してみたら、北海道産とわかった(推定した)わけです。


そんな方法があったのか!すげー!


って思ったのですが、概要だけ見てるとどうも「産地によってわかることがある」くらいの分析だとわかって、平静を取り戻しました。

北海道の産地のうち2つだけが、δ34S(デルタ・サルファー 34:硫黄34の偏差)がとびぬけて高いこと(+8.4‰と9.4‰)が拠り所なのです。

ほかの産地は、-8.0‰の丹生(大分県)、-2.4‰の大和(奈良県)で、それ以外の産地は、平均値は違っても互いに近い偏差なので、土器についた朱の偏差がこれらに近い場合は「絞り込めない」結果になることが予想されます。
この互いに近い偏差(-4.5〜-4.8‰)になる産地は、北海道、徳島県、大分県の産地に1箇所ずつあるので、土器の朱がこれらに近い場合は、それらのうちいずれかのものと結論されると思いますたぶん。

ただ、適用範囲に大きな制限があるとは言っても、これまで全く分からなかったものが分かるようになるのはすごいことです。それに今回の島根県出土の朱が、わりと近いところにある大産地(徳島)のものではなく、ずっとはなれた北海道産のものだったことも衝撃です。

糸魚川のヒスイが沖縄や北海道にもいくくらいですから、縄文時代後期から晩期に広域ネットワークが発達したことは言わずもがななのですが、その背景にはきっとコミュニケーションの取り方の変化だとか、海洋交通の事情(技術)の変化なんかが絡んでいるんじゃないかとモクモクと妄想したりするわけです。単なる赤い顔料と思いがちですが、縄文人にとっては非常に大事なものだったのでしょう。

あ〜〜、、、「分かる」ってなんて素晴らしいんでしょう!

そういえば、今年度の笹山遺跡の発掘で、鮮やかな赤色が塗られた土器の破片が出土しました。あの鮮やかさはベンガラではなく、たぶん朱です。笹山ではけっこう珍しいです。分析できたら素晴らしいんだけどなあ・・・・理化学研究所に訊いてみようそうしよう。


学芸員A
posted by 十日町市博物館 at 16:10| Comment(0) | 日記

2019年11月26日

博学連携プロジェクト 子ども縄文フォーラム2019

みなさんこんにちは、なんだかんだで、ここをご覧くださっているみなさんのおかげで辛うじて生きている学芸員Aです。

さて、昨日、新潟県立歴史博物館にて催された、博学連携プロジェクトの「子ども縄文フォーラム」に参加してきました。


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十日町市からは下条小学校、中条小学校、松代小の3校も参加していたこともあり、色々と楽しみにしていました。内容は、フォーラムのパネルディスカッションとポスターセッションとの2本立てです。

  • パネルディスカッション

この半年間の児童の研究成果ないしは感想が口頭発表されました。
現代との対比はここ数年のスタンダードなアプローチになっていて、これに加えて今回は自然との共存共栄というテーマを持ち出す学校がありました(小千谷市の吉谷小学校さん)。縄文というフィルターを通じて現代を見つめ直すという方向性がはっきり出てきた感じがします。

興味深いことに、「自然を大切にしよう」というありきたりなスローガンに落ち着くのではなくて、「自然主義では駄目、共に生きるために科学が必要」だということも言っていた点でした。一歩踏み出た、大変深みのある意見です。

気になったのは松代小学校さんの発表で、縄文時代に比べて現代は死者数が増えており、これは戦争の影響であり、助け合いながら生きる縄文に学ぶ必要があるという部分でした。これは若干誤解を招く言い方で、単純な死者数ではなくて、暴力による死亡率のことだろうと思います。そうだとすると、かなり新しいデータで、元ネタはこれかもしれません。

 縄文時代は“平和”だった 暴力死亡率は1.8%――「戦争は人間の本能」は誤り?

また強い戦士に特権を与える社会集団ほど戦争を起こしやすいという研究も最近出されて、話題になりましたね。

 asahi.com :「男の強さ」幅利かす社会、紛争が起きがち 戦士に特権


人の話を聞くリーダーが必要だと述べた学校さん(失念)もありましたが、一方で強さを高く評価するリーダー以外の人々(社会)にも原因があるのかもしれません。

そんなわけで、発表を聞きながらモヤモヤしていました。つまりは、ちょっと考えさせられた、いい発表だったということでしょうか。

  • ポスターセッション

私は関原小学校しか見ていなかったので、全体評価ができません。
ネットのお蔭だと思いますが、みなさん情報収集がそつない感じがします。幅広く集めていて、全体のボリュームが均等で、よくまとまっている、という感じです。どのポスターもこの水準をクリアしています。実は関原小学校に前から見られる傾向でして、基礎学習のレベルの高さを物語っていると思います。

ですが、他方で、その情報に基づいて自分が何に気付いたのか、何に取り組んでみたのか、さらにそこからどう考えたのか、という大事なオリジナリティが希薄になっている印象が残りました。ちょっと残念。

  • 学芸員のイチオシ

選ばせてもらった1枚は、「季節ごとの縄文人の食事とは!?」(長谷川さんたち)でした。これは春夏秋冬のそれぞれでとれる食材の保存について、単に「保存する」の一言で片づけてしまうのではなく、「干して保存する」「1年間保存する」といったように、その方法や期間に違いがあるという点に気付いたことを評価しました。方法や期間は年間の食料・事のスケジュールに大きくかかわる部分で、それこそまさに生活の根幹だからです。こういう気づきに本人たちが気付いたのかどうかは若干不透明でしたが(笑)、こういうところがオリジナリティだと思います。

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*画像は小さくしています

学芸員のイチオシは、「受賞」というわけではないかもしれませんが、顧問の藤岡先生は「書状の一枚くらいあげてもいいのではないでしょうか」とおっしゃってました。ワタクシも「形として見える何かがあっていいと思います。」とお答えしました。このあたりは、事務局のお考えがあってのことかもしれませんので、それならそれで尊重したいと思います。

  • 展示されます

この壁新聞を含む児童の研究成果は、2月12日〜25日に十日町情報館ギャラリーで展示(子ども縄文研究展2019)されますので、是非ご覧ください。

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学芸員A
posted by 十日町市博物館 at 11:14| Comment(0) | 日記

2019年11月18日

全部ホモ・サピエンスの拡散のせいだ

みなさんこんにちはすご〜く久しぶりの学芸員Aです。

仕事密度が濃くなりすぎると、仕事の効率化のために全体量を最小化、単純化しがちで、思いがけない発想やデザイン的思考が切り捨てられてしまう、ということがあります。

やはり仕事には適度な余裕が必要だと思う今日この頃です。

さて、先日出張で、長野県は御代田町のミュージアムに出かけてきました。
Hunting−狩猟相解明のためのアプローチ−」というシンポジウムに参加するためです。

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東北大の佐野先生の発表が興味深いものでした。

石器に残る衝撃剥離痕からみると、「弓矢は後期旧石器時代からある可能性が高い」というのです。第一、あの複雑な道具がほぼ同じ形で世界同時的に発生することの不自然さを説明することはできないし、それよりもホモサピエンスの拡散と共に拡散したと考えるほうが合理的だとのこと。

言われてみればその通りかもしれません。
あの矢印みたいな形Δの石器だけが弓矢の先っちょ、というステレオタイプな考えはもう駄目なのでしょう、たぶん。


さて、ほかにもいろいろと勉強になった非常に有意義なシンポジウムでしたが、それはおいといて、ちょっと面白かったことをひとつ。

ブッシュマン研究で知られる、我が国の生態文化人類学研究の第一人者、田中二郎先生(京都大学名誉教授)が基調講演でこんなことをおっしゃっていたのです。

「彼らは火起こしは大工仕事より大変だと言っていた。起すのはものの1・2分でしかないけれど、手にマメが出来るし疲れる。だから火は一度起したら絶やさないようにする。」

ですよね!

ブッシュマンといえど、手にマメが出来るわけです。
素人のワタクシなんぞ、できないはずがない。いやむしろ手にマメが出来るのが普通であって、マメのない火起こしなんて火起こしじゃない、そんな気さえしてきたのでした。

きっと縄文人もマメができたにちがいないし、旧石器人もそうだったことでしょう。マメも火起しとともにホモサピエンスの拡散とともにやってきたに違いありません。きっと全部ホモサピエンスの拡散のせいです。



ワタクシの仕事が忙しいのも拡散のせいですし、

シンポジウムへの行きの電車で乗り過ごしてしまったことも、

大石家のチャーシューメンで若干胃もたれしたのも、そうです。

間違いありません。



このシンポジウム、本当に行った甲斐がありました。


学芸員A
posted by 十日町市博物館 at 12:12| Comment(0) | 日記