2018年11月30日

支出の10パー貰えたらウハウハ

みなさんこんにちは、

いま世間では給料もらい過ぎてるとか、

それを隠していたとかの問題で連日ニュースになっていますけど、

その額が行政トップの内閣総理大臣さんの基本給(月200万円ほど)と違いすぎるので、

まったくもってピンと来ない学芸員Aです。


こういう時はやっぱり歴史に訊いてみようそうしよう。



江戸時代末期、

各藩の財政はどこも逼迫していて火の車。

そのシワ寄せが農民にも及び、騒動や一揆が頻発して、

武士だけでなくみんなが困っていたわけです。

尊王であるとか攘夷であるとかいうまえに、経済がうまく回ってない状態だったわけで、

それが「維新」の基本的な動機の一つになっていたのです。


そんなことは誰でも知っているかもしれませんけど、

では一体全体何がどうなって逼迫するのかというはあんまりよく知らない、

ワタクシもよく知りませんでした。


1870年(明治3年)、政府は藩制を布告して藩政改革を命じました。

そのなかに財政支出基準の制定が含まれていまして、

各藩から政府に財政改革の報告書というのが提出されました。

高田藩の収支見込みというのが

新潟県史(通史編 近代1、190頁。および資料編 近代1、738頁。)に掲載されていますので

これにみるとビックリするというか、大変なことになっていたのが分かります。


高田藩

 収入
  48,405石
 支出
  知事家禄 4,841石(10.0%)
  海陸軍資 4,356石(9%)
  士卒家禄 22,571石(46.6%)
  など

・・・

家禄とは要するに給料のこと。

知事、つまりは大体において旧・藩主が歳出の10%貰っているという衝撃の事実が明らかになります。

しかも士卒(旧藩士)もとい行政職員の給与が46.6%もあります。

あわせて56.6%、おそるべき比率です。

高田藩はいまの上越市の中心に相当してまして、

参考までに上越市の2018年(平成30年)度の一般会計歳出予算を検索してみると、

1,076億6,107万円です。

もしも、仮に、このうち10%が市長の給料になっているとしたら

どうでしょう、、、、


107億円!!!


もう開いた口がふさがらない額です。

余りの額の大きさに、1億円以下はつい省略してしまったほどです。

高田藩が悪いのではなくて、村松藩も与板藩も10%です。これは政府基準なのです。

多分ですけど、これでもかなり削った結果でしょうから、

幕府時代はもっとすごかったんだろうと思います。

こんな調子じゃ財政がひっ迫するはずなのです。あたりまえだのあたりまえ体操です。

でも、貰う方からしたらウハウハとしか言いようがないわけでして、



「うひょー!藩主やめらんねー!」



ってなるに決まってます。

これに比べたら冒頭のニュースで報じられている額なんて

どうってことないことが分かるわけですが、

そういう問題ではなく、

とにかく給料の貰い過ぎには注意が必要だということがわかったところで

今日はお開きにします。



学芸員A
posted by 十日町市博物館 at 15:50| Comment(0) | 日記

2018年11月29日

博学連携プロジェクト 子ども縄文フォーラム

みなさんこんにちは、学芸員Aです。

半年前から学習を重ねてきた博学連携プロジェクトの児童たち。集大成ともいえる「フォーラム」が先日開催されましたので、その成果を拝見してきました。

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【口頭発表】
こういう意見が多いように見受けられました。


 ・縄文人は自然を大切にする

 ・縄文人の生き方や精神を未来へ引き継ぐ


現代人、現代社会との違いをそれぞれに感じていたようでした。それから、現代においても大切と考える点を抽出して、それを未来へ引き継ぐべきだというところまで考えたことが印象的でした。単に過去を知ることに主眼を置いてない当プロジェクトの主旨がよく反映されていると思います。

司会の金子先生から「自然を大切にするってどういう風に?自分では何かしていますか。」という質問がありました。

ワタクシも同じことを思っていました。発表の中に、土器作りをして幾つかが割れてしまったという経験談があって、それが気になっていたのです。なぜ割れてしまったのかを考えただろうかと。

土器作りに使う粘土も燃料の薪も天然資源です。もしかして資源を無駄にしてしまったのではないか。自然との付き合い方を学習の最中で体験的に考えるいい機会だったんじゃないかと思います。資源の使い方を間違えると大変なことが起こる、こともある。単なる土器作りひとつからでも、自然との関係について何かを学ぶことができれば、それが「未来へ」つながるんじゃないか、そういう風に思っていたのです。

そういうワタクシも土器が割れちゃったときは「ああ割れちゃったね、残念!」くらいにしか思っていませんでしたし、自然との関係みたいな話をしたこともありませんでした。反省です。今回もまた、いろいろ考えさせられる口頭発表となりました。

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【ポスターセッション】
関原小学校さんのポスターを集中的に拝見していました。人数が多いからなのか、構成は毎年そつのない感じがします。

どこから情報を持ってきたのか、住居タイプや土器型式の図を集成したポスターがありました。発表の仕方がよく、衆目を集めていました。

また、考古学的にという意味ではなく、もっと広い意味で、特定分野のデータを同じ水準で並列するということに基礎科学の出発点を感じ、ポスターセッション賞(仮)のひとつに選ばせてもらいました。そういえば自由研究で身の回りにある植物で大量の標本を作った方が受賞した話をここに書きましたが、考え方はあれに似ています。集めることは科学の基本なのです。

ポスターは毎年違い、先生のリーディングも垣間見えるものです。たいへん興味深く拝見しました。


学芸員A
posted by 十日町市博物館 at 09:49| Comment(0) | 日記

2018年11月21日

藤森照信さんのご講演がありました

みなさんこんにちは学芸員Aです。

昨日、建築家の藤森照信さんが御講演にみえました。


「縄文の未来、縄文建築の世界」



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最初の話は「私の建築の原点」。

紹介されたのは3つの物件がとても印象深かったです。

 ●石の家(ポルトガル)
 大きな自然石ふたつの間に屋根・壁・扉がついている。

 ●泥の家(マリ)
 基壇から上屋まで泥をかさねて作ってある。素材の連続性。

 ●三佛寺投入堂(鳥取県)
 崖にはまっているかのよう。登って内側から景色を見ると、額縁のなかの自然を体感できる。

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「自然と文化を仲立ちするような建築」、

という風なことをおっしゃってました。

この辺りで、なんとなく縄文とのつながりが垣間見えます。


次の話は、屋根。

「茅葺は弥生時代から」説、「縄文の土葺き→芝棟」説そして、「多雪地域の土葺き不要」説も。

芝棟というのは始めて聞きました。茅葺き屋根のてっぺんに花壇みたいなものがあるそうで、

東日本の太平洋側に多いとか。へ〜!

昔、東大の亘理先生らが調査したことがあるようです。藤森さんも参加したのでしょうか。


縄文時代の土葺きについては、いまのところ御所野遺跡で出土しているので、

ほかもそうだったんじゃないかという仮定が成り立つのですが、

でも逆に、数ある焼失住居で同様の証拠(焼け崩れた材を覆う焼土)がみられないのはなぜなのか、

を説明できないのが難で、、、、謎はまだまだ深いままです。


藤森さん、驚いたことに十日町にいらっしゃったのは2度目とのこと。

これからもご縁がありますように。


学芸員A
posted by 十日町市博物館 at 11:30| Comment(0) | 日記