2018年11月14日

かきのもと

みなさんこんにちは学芸員Aです。

北陸、新潟、東北地方では菊の花を食べます。

新潟では「かきのもと」というらしいんですが、

ワタクシは子供の頃からそんな名前は聞いたことがなく、

ずっと「菊の花」といっていました。

酢の物にするのが普通じゃないかと思います。


なぜ「かきのもと」というのでしょう。

新潟市さんのHPにこんな記述がありました。

 かきのもとの名前の由来は、「生け垣の根本に植えたから」、「柿の木の根本に植えたから」など、諸説ありますが、現在は、「柿の実が色づいてくるころ赤くなるから」というのが一般的になっています。


へえ、そー(ぜんぜん納得していない)。

他所でどう呼んでいるのかがすごくヒントになるとワタクシは思います。

長岡では「おもいのほか」と呼び、山形では「もってのほか」というそうですね。

どっちも隠喩または暗喩であることは確かです。

「思いのほか食べられる」のか、「食べるなんてもってのほか」なのか、

観賞用のようで食用になるというどっちつかずの物だといいたいのか。

あるいは権威の象徴だったり皇室の御紋だったりするからかもしれません。

いずれにしても、その名前を直接言うには憚られたのでしょう。



新潟では、そのどちらでもなく、

「かきのもと」といいますが、やっぱり隠喩です。

表現上においてどっちにもつかずですが、やっぱり

食べられるか否かの中間を言おうとしたんじゃないか。

そう思わずにはいられない止まらない。

地理的に見て長岡と山形との中間にあることは偶然でしょうけども、象徴的です。


個人的な意見ですが、こういう表現法は江戸時代の諧謔風だなって思います。

だから「かきのもと」はおそらく「かきのたね」のようなもので、

いまは食べられないけど、時が経てばいずれ(実がなれば)食べられるようになる、

そういうことをもって婉曲表現しているのだと思います。

したがって、

「いまは食べる気になれないけど、なれればイケるかも。」

というものだと言っていると解釈できると思うわけです。


そしてまた、このネーミングは、

すでに食べられることを知っている新潟の人によるのではなく、

「えっ、たべんの、まじで。」と驚く人、きっとお江戸から来た方が

何かの文章でそう記述したものを引用したものじゃないか、

そんなふうにも思ったりするわけです。勝手な想像です、あしからず。

2018-11-13_kakinomoto.jpg

先日玄関に置いてあった菊の花は、昨日「かきのもと」に化けていました。

さっそく食べたいと思います。本当に華やかな香りで美味しいですよ。

新潟に来たら笹団子もいいけれど、「かきのもと」も、是非。


学芸員A
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2018年11月13日

江戸時代 越後人の入百姓

十日町市の過疎化対策のために新規施策提案をして

実際に取り上げてもらったことのある学芸員Aです、みなさんこんにちは。


十日町市の人口は毎年1パーセントくらいずつ減っています。

相当なものです。

人口減少はいろんなところによくない影響がありますから野放しにはできません。

なんとかしなきゃ。


そうだ、歴史に学ぼう。


実は、人口減少というのは、これまでまったく経験がなかったことではなく、

長い時間間隔で考えると結構あります。

新潟県史(近世編2)を紐解いて江戸時代を見ていたら面白いことが書いてありました。18世紀後半、農村の人口減少により荒廃が進んで、幕府や諸藩はその対策に迫られていたというのです。

関東のなかでも常陸・下野(ひたち・しもつけ)の領国では、1715-1735年に比べて、1798年には7割、1834年には6割に落ち込んだそうで、そりゃもう大変だった。

そこで農村再興のために越後からの移民、「入百姓」(いりびゃくしょう)政策がとられたそうです。幕領だった真岡(栃木県真岡市)の代官、竹垣直温さんと岸本武太夫さんの施策です。結果的に、頸城郡(くびきのこおり)からは12年間で1,700人余りにもなったといいますから、かなりの数です。

移民は、いきなり行われたのではなく、その前にも、間引きの禁止、養育補助金の支給、出稼ぎ者の帰村推進などを実行したけれど、人口減少を防げなかったそうです。結果も含め、どこかで聞いたような話ばかりでびっくりです。

そして、「入百姓」の募集条件を知ると、その手厚さに、またビックリ。

 ・1軒につき10石相当の田畑を与える
 ・農具代及び米・味噌を支給
 ・越後からの道中小遣い支給
 ・荷物運送料支給
 ・老人や子供の乗る駕籠や馬の用意

だそうです。「家族ぐるみで来て頂戴!」という強い願いが見えるようです。

さらにこの入百姓と地元民との間のありがちな対立にも「意を用いて」(面倒を見て)、入百姓を定着させたといいます。

1,700名余りになったのですから、きっと魅力的だったのでしょう。
田畑10石といったら、百姓の中堅クラスです。そもそもこの時代、自分の田畑を持ってない無高(むだか)の家、いわゆる水呑み百姓がたくさんいたわけで、それがいきなり高持(たかもち)の中堅になれるとあっては飛びつかないほうが不思議なのかもしれません。

貧困層対策にもなっているところがすごい。その点、越後がターゲットになったことはちょっぴりひっかかりますが、やっぱりこのくらい思い切った方法でないとね! と考えさせられたのでした。


学芸員A
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2018年11月09日

十日町市博物館facebookページが開設されました

みなさんこんにちは学芸員Aです。

「最近の人はホームページ見ないんですよ。」

そう聞いた時はさっぱり意味がわからず、

思わず「はい?」って言いました。

よくよく聞いてみると、スマホでSNS情報を見ているとのことでした。

仕組みはよくわかりませんけど、

たとえばfacebookならその専用アプリ(ブラウザ)を通じて見ている

ということのようでした。

だから、そのアプリに乗っからない情報は、

たとえインターネット上にあってもあんまり見ない、というのです。

なーるほどー。と思いました。

普段ネット閲覧端末の比重がスマホとPCとでどのくらいになるかで

共感の仕方が違うような気がしました。たぶん。


facebook_logokiyaku.jpg


そんなわけで、スマホユーザーに優しい情報発信のため、

十日町市博物館のfacebookページを作りました。

「facebook、十日町市博物館」で検索してみてください。

あるいは、博物館のトップページ右下にリンクバナー(上の画像)を置きましたので、

それをクリックしてもらえたらと思います。

そして是非「いいね!」を。



学芸員A
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