2017年11月21日

「縄文展」開催決定

みなさんこんにちは、学芸員Aです。

「国宝・新潟県笹山遺跡出土深鉢形土器」は57点にお深鉢形土器を核とする、

出土品928点で構成されています。

深鉢形土器57点には、番号が振られており、もちろんNo.1〜57まであります。

管理上の都合から、私たちはこれらを番号で呼びならわしていて、

「ナンバー〜」と呼びます。

No.1は、ナンバーワン

ナンバーワンには、実は「縄文雪炎(じょうもんゆきほむら)」という

立派な愛称(公募してつけたもの。)があるのですが、

職員がナンバーワンと呼んでいるうちにこれが浸透してしまい、

十日町市で火焔型土器をよく知る人には「ナンバーワン」で通じるようになっています。

これが長じて、この秋、京都国立博物館の「国宝展」で展示された時は

そのチラシにも「ナンバーワン」と書かれたのでした。

もうナンバーワンの方が全国区になりそうな勢いです。


ところで深鉢形土器はNo.57まであるので、

ワンがあるなら、その後はツー、スリー、フォー・・・と思うのが人情ですが、

我が館では、違います。

ワンの次は「ニ」「サン」「ヨン」・・急に日本語。



No.6は、ナンバーロク


そう呼ばれています。

「ナンバーシックス」なんて読む方は、部外者だとわかります。

実は部外者を見分けるための符丁なのです・・・なんてことはありません。

なぜ日本語になのでしょうか。

結論的に言うと、なぜかはわからないのですが、ヒントが幾つかあります。

2人の職員の言葉を拾ってみました。


【ヒント1】
「ナンバーツーっていうとさ、

 組頭とか、そういうのかと思っちゃう。」(学芸人M)


【ヒント2】
「知ってるか、海外ではさ、「コーヒー」って言うと通じねんだぜえ、

 「カフィ」ってんだぜえ。」(学芸人S)


このあたりにも表れる、共通の理由がありそうな、そんな気がします。


学芸員A
posted by 十日町市博物館 at 14:52| Comment(0) | 日記

2017年11月17日

おかのぼりじろうえもん

みなさんこんにちは学芸員Aです。

昨日の終業間際、博物館に電話がありました。

大学の大先輩からでした。

「学芸員A君はさあ、岡上景能って人を知ってる?」

「押忍。全然知らないっス。」

「十日町にも貢献した笠懸村出身の偉人だ。調べとけ。」

「押忍。調べます。」

「じゃ、よろしく。」(ガチャ)


(以上は要約。)


そんなわけで終業後に文献調査。

まずは市史。

いきなり見つけました。岡上次郎兵衛さん。たぶん同一人物。

市史によると、越後国の高田藩がお取り潰しにあったあと、

現十日町市が属していた魚沼郡が高田の代官所預かりとなったときの最初の代官様、

それが岡上(おかのぼり)さん。17世紀後半のことです。

出身は現・群馬県みどり市(旧・笠懸村)だそうで、向こうでは大変な偉人なんだとか。

十日町では旧・十日町村の新田開発に業績があり、岡上堰なるものを作ったり、

智泉寺などに土地を寄進したり、いろいろ功績のある人だったらしいです。

彼の最後は、悲しいことに不首尾により切腹だったそうですが、

十日町の発展に一役買ったお方のようです。


「押忍。調べました。素晴らしい人でした。」

「そうだろう。分かれば良い。では。」(ガチャ)

(繰り返しますが要約ですよ・・ブルブル。)


さてその新田はどこなのか。

向島新田とか島新田とか林新田、そんな名が出てきました。

岡上堰というのもあります。

近くの職員に聞いてみました。


「まったくわからない。」


ですよね。新田なんて五万とありますもんね。

でも、旧・十日町村のなかで「島」って言ったら、あそこじゃないでしょうか。

最近、住居表示の地番整理「市街第10・11計画区」の「住吉町」に入ったところ。

そのへんに新田を作るのに水を引く必要があったので堰を作った、ということなのでしょう。

信濃川本流ではないでしょうから、きっとその支流、

北側を流れる中沢川から引いたのかもしれないですね。

どういうものだったのか、岡上堰(おかのぼりせき)。

気になりますが、現代の河川工事がガッツリはいってますから、

図面が残ってなければ場所の同定は困難でしょう。残念。


ところで、みなさん、江戸時代の役所のことを「陣屋」(じんや)っていいますけど、

十日町にはどこにあったかご存知ですか。

十日町駅通りの真ん中くらいの北側、いまはパーキングになっている辺りだそうです。

昔を知っている人なら、旧・十日町郵便局のところといえば、わかりやすいでしょうか。

ここです。

今行くと、もれなく普通の駐車場が見られます。記念碑とかはありません。


旧・十日町郵便局については、なんと写真が公開されています。

文化遺産オンラインです。いつのまに。

郵便を運ぶのも一苦労だった様子が写真に写ってます。

だって豪雪ですものね。何をするのも大変。

江戸時代でも、代官が変わったりすると、

庄屋たちがこぞって嘆願書をだしたりしてたらしいです。

「雪とか水害とかある地域だから、諸事大変だってこと、よくご理解ください。」

そんな感じで。


お、陣屋の写真も!



・・・って、あるわけないですね。



すみません。あったらいいなという願望が一瞬、首をもたげただけです。


学芸員A
posted by 十日町市博物館 at 14:20| Comment(0) | 日記

2017年11月09日

マイナーアップデイト

みなさんこんにちは学芸員Aです。

意外と知られていない、というか知っている人はほぼいない

かもしれません。

実は博物館ホームページのTOPから、>情報アーカイブズ>指定文化財

とたどっていくと、市内にある「指定文化財」の一覧表を見ることができます。

それくらい知ってるよ!というマニアな方は少しいるかもしれませんが、

これはどうでしょうか。

実は、その中を少しずつアップデイトしている、という事実。



え〜〜〜?まーじで?



博物館の係長がそう呟いた気がしましたが、呟いてはいないはずです。

だって係長は知っているから。だって係長だもん(あいだ○○お)。


じつはちょいちょいやっているんですよ更新。

あまりにも少しずつなので気づきにくいでしょう。

牛歩戦術・・・じゃなくて匍匐前進(ほふくぜんしん)、そんな感じです。


例えばどこを更新したかというと、これはどうですか。

松苧神社(まつおじんじゃ)

画像に写る家族はある職員の一家です。なんて微笑ましいのでしょう。

その子はいま立派な大人になっています。


次。これはどうでしょう。

田代の七ツ釜(たしろのななつがま)

清津峡(きよつきょう)

綺麗な写真がいっぱいですね。係長が頑張りました(本当に)。


そんなこんなで、一覧表の中でクリックできるところは文字色が違っているので、

すごく暇なときにでもポチポチやってみてください。

地図も載っているのがあります。

あまりにもやることがない日曜日があったら、

この地図を頼りに現地へ行ってみるのもいいかもしれません。

十日町のことならなんでも知っている貴方様でも、

きっと何かしら「へー」と思うものが見つかるはず、たぶん。


学芸員A
posted by 十日町市博物館 at 17:09| Comment(0) | 日記