2017年09月07日

魚沼郡と書いて「いおののこおり」と読む

みなさんこんにちは、学芸員Aです。

地図を見ればたちどころにわかる、というものがあります。

「魚沼郡」というくくりがたびたび登場しますが、

いったいどこだろう。

そんなときはいつものWikipedia先生に訊いてみましょう。

魚沼郡(いおののこおり→うおぬまのこおり)

でましたね。一発です。時代が・・・とかいわない。だいたいでいいんです。

で、この範囲に入っている現在の自治体はというと、

小千谷市、長岡市のうち旧・川口町、

魚沼市、南魚沼市、湯沢町、十日町市、津南町です。

平成の大合併のおかげでわかりやすく列記できるようになりました。ビバ。

このうち、小千谷市はその北部、ちょうど市街地あたりを境にして、

北側は古志郡(こしのこおり)に属します。アンダーラインの意味は、またあとで。

それから、十日町市の西側の旧・松代町と旧・松之山町は、

もとは頸城郡(くびきのこおり)でして、今とはちょっとしたズレがあります。


江戸時代の魚沼郡は総じて幕府領(天領)となっていましたが、


幕府と仲のいい藩(親藩や譜代)に管理させていました。

「直営だと面倒な地域だからおまえさんやっといて」的なところでした。

何が面倒って、雪が深すぎるとか、中心地が定めづらいとか、

たぶん統治上の効率の問題です。

で、どこに預けられていたかというと、だいたいは会津藩。松平家ですね。

ほかには高田藩、陸奥(福島)の白河藩、伊勢の桑名藩、、、これらはみんな松平家。

ほかは省略。


旧高旧領取調帳」という明治初年の調査帳簿があります。

江戸時代の村をどこの藩が治めていたのかという調査帳簿です。

新政府がそれを調べなければいけなかったということは、

統一的な帳簿が無かったことを意味しているのかもしれません。

なぜか耳が痛い気がしますが、めげてはいけません。

この帳簿に基づいて、魚沼郡の預地状況を拾いだすと、こうなっているようです。

 会津藩・・・魚沼郡 81村
 桑名藩・・・魚沼郡 20村

会津藩の預地は、まだ全部調べてませんが、

新・十日町市に合併した旧・十日町、旧・川西町、旧・中里村は全部入るでしょう。

桑名藩の預地は、現在の十日町市の西南部、鐙島から吉田のあたりです。

それから、頸城郡の方でも預地があって、高田藩の頸城郡234村が該当します。

十日町市に合併した旧・松代町と旧・松之山町がここに入っています。

ということは、現在の十日町市の範囲は、魚沼・頸城郡の一部が合併した範囲ですので、

かつての幕末時の会津藩、桑名藩、高田藩の預地がくっついているということもできるのです。

なんだかもうごちゃごちゃです。


ところで最近、こんなニュースがありました。

 ご当地ナンバープレート:魚沼地域を 3市2町実行委員会設立

3市2町とは、魚沼、南魚沼、湯沢、十日町、津南のことのようです。

だいたいは魚沼地域、旧・魚沼郡ですね、すばらしい企画です。

新ナンバーになるのに必要な域内車両台数は満たしているそうなので、

きっと「魚沼ナンバー」になるんだろうと思います。

やったー・・・・・・

って、、、、ん?

あれっ!?

なんか、ひとつ、足りないような気がするのは気のせいでしょうか。

気のせいに違いありませんというのが気のせいのような気もします。


そこは大部分が魚沼郡だったはず


と、先述のアンダーラインに加えて

文字を大きくして指摘しておきたいと思います。


学芸員A
posted by 十日町市博物館 at 12:10| Comment(0) | 日記