2017年08月07日

美佐島郷、羽根川郷、大井田郷、吉田郷、共に妻有荘と称す

うがいをしようとガラガラガラ〜と上を向いたとたん、

天井に足の多い虫がいるのをみつけて

あやうく噴水になりかけた学芸員Aです、

みなさんこんにちは。


前から気になっていて、合間合間の時間を使って調べている言葉があります。

「妻有郷」


この言葉の初出文献が分からなくて。


江戸時代に会津藩が編纂した「新編会津風土記」が手元にあります。

その「外篇越後國魚沼郡之三」の「十日町組」の項に、こんな記述があります。

「美佐島郷に属する村二 十日町村・原村

 羽根川に属する村五 山本村・八箇村・六箇村・北新田村・高山村 

 大井田郷に属する村五 新座村・四日町村・新田村・尾崎村・中條村 

 吉田郷に属する村七 沖立村・友重村・小根岸村・寺崎村・仁田村・野口村・上村・新田村 

 あり、共に妻有荘と称す、凡そ十九箇村あり、」


ここで注意したいのは、行政的な単位の階層についてです。

大きい方からいうと、國→郡→組→郷→村、となっていること。

もうひとつは、このなかの「組」という単位が、

中世の荘園と重ね合わせて理解されているということ。


荘園は中世の戦国時代までは辛うじて生きていましたが、太閤検知で解体されて、

実質的には廃止されているのですが、どんな因果があってか、

こうして名残りしているわけです。「称す」とは、なるほどと思わせる表現です。


少し話を遡ると、近世の十日町組の一帯は、

中世においては確かに妻有荘(つまりのしょう)と呼ばれており、

さらに少し前になると、波多岐荘(はたきのしょう)と妻有荘とがあったようです。

波多岐荘の範囲は、北は小千谷市との境の楢沢川から、南は津南町の中津川までで、

妻有荘は、北は中津川から今の長野県との県境付近の志久見川までとされています。

(出典:十日町市史編纂委員会編, 2000, 十日町市の歩み, 38頁)


史料や時代によってまちまちな部分がありますが、

最初は2つの荘だったものが、

理由は分からないけれど中世の末期までのあいだに

次第に妻有荘のみに収斂していったようです。


こうしてみてくると、十日町のあたりは、

古代においては魚沼郡4郷のうちどれかかもしれなくて

(前に触れたことがあるので省略)、

中世になると、波多岐荘(+妻有荘)→妻有荘という変遷があり、

近世になると、十日町組となって、そのなかがさらに4郷19箇村に分けられていた、

と理解していいのだと思います。


では、「妻有郷」とは、いつの時代の、どこのあたりをさすのでしょうか。

個人的には、この範囲は旧・十日町市から津南町の「現代の愛称」なのかな、

という気がしていますが、どうでしょうか。

もしそうだと、頚城郡だったけど新・十日町市として合併した

旧・松代&松之山町の範囲はどうなるのか。

でも愛称だったら、任意に変えていいわけだから、

新・十日町市ってことで、「妻有郷」の仲間に入れてしまうこともできるのか。

いや、それは頚城郡松之山郷の誇りから拒否されるんじゃないか、

などと

謎が謎を呼ぶ展開が見えてきたところで、

下手なことを言って「噴水」にならないうちに、退散したいと思います。


To Be Continued...!


学芸員A
posted by 十日町市博物館 at 14:42| Comment(0) | 日記