2017年01月31日

防火訓練

みなさんこんにちは、学芸員Aです。

昨日は休館日でしたが、館全体をあげての防火訓練を行いました。

博物館の防火は、人命だけでなく文化財の保護という観点が必要で、

訓練においては避難誘導から文化財搬出へと連続するような流れで実施されます。

本日もまた、移築古民家で火災が発生し、初期消火に失敗するという想定で

訓練を行いました。

2017-01-30_boukakunren1.jpg

事前に流れを確認したつもりでも、現場に立ってみると違うもので、

「これはどうかな」とか、ケースによっては「ああするほうがいいのでは」などと、

気づくこともあるもの。勉強になりました。

消火器を使った模擬消火訓練も行いました。

火が出てから20秒。

その間に消せなければ消火器では消火できない状態になるのだそうです。

2017-01-30_boukakunren2.jpg

全職員がチャレンジするのを見ていたら、

火元から10メートル離れたところで発見し、目の前に消火器があったとしても、

駆けつけるのと消火器を噴射するまでの動作で、合計7秒はかかるようでした。

残る13秒・・・消火は半分近い確率で失敗しました。

移築古民家で火が出た場合、事務室から駆けつけるまでには、

たぶん10秒以上かかります。

ほとんどのケースで消火栓による消火は失敗するはずなので、

火が出た時は、初期消火にほとんど期待できず、

消火結果を待つより早く避難誘導と文化財搬出の体制を組むのが

賢明のように思いました。


訓練の様子は、NNNニュースでも報道されています。

動画がアップされており、職員も映っています。

ニュースデビューを果たした職員もいることでしょう。おめでとうございます。

学芸員Aもいるとかいなとか・・・いえ、います。

見ても仕方ないものにこそ興味があるという奇特な方は、コチラからどうぞ。


学芸員A
posted by 十日町市博物館 at 09:18| Comment(0) | 日記

2017年01月27日

小千谷のNEXT名物は、川鮭のてんぷらだと思う

みなさんこんにちは、松本幸四郎さんの鬼平犯科帳が大好きな学芸員Aです。

鬼平犯科帳といえば、鬼平らが江戸グルメの数々を食すシーンが有名で、

その料理を出すお店やレシピなどを巡ってマニアたちが跋扈していることは、

物知り博士の皆さんはもちろんご存知のことと思います。

鬼平犯科帳に取り上げられたことをきっかけに名物と化しているお菓子や料理もあるとかで、

有名な小説などに取り上げられるということは、それだけで威力をもつものです。


ところで、以前より十日町市の鮭の文化について興味を持っているワタクシは、

時間を見つけては文献中に「鮭」の字を探していて、最近になって

手元の「北越雪譜」(1837年)にそれがあることに気が付きました(今更)。

でもそこには、


我国にて塩引にしたるを大晦日の節には用いざる家なし


とありまして、

まあ・・・・そうでしょうね、と、その意外性ゼロ感に打ちひしがれていました。


ところが!


気分転換に小正月の行事「斉の神」(さいのかみ)の項目を読んでいましたら、

なんとそこに「鮭」の字を発見したのです。(正確には魚+生でサケと読ませている)

なんでも、北越雪譜の刪定にあたった京山人百樹さん(江戸人)が、

鈴木牧之の親戚のお宅(小千谷市にある)にお世話になった時、

その息子の岩居さんからこんなのが出されたそうです。


鮭のてんぷら



ほーー!!!





 1日鮭をてんぷらといふ物にしていだせり。

 余岩居にむかひ、これは此地にては名を何とよぶぞと問ひしに、

 岩居これはテンプラというなり、

(中略)鮭のてんぷらを飽くまで喰(しょく)せり。

  (岩波文庫『北摂雪譜』第37刷、246頁より)


川のとれたての鮭をてんぷらにするって、なんだか珍しい気がする。

これはきっと小千谷名物に違いない。

こんな時はすぐさまgoogle先生にききます。だって現代っ子だから。


が。


ない。


「へぎそば」とか、普通に聞いたことのある、王道の名物しか出てこない・・・


なんてこった。


小千谷市民は、かの「北越雪譜」に京山人百樹がわざわざ書きとめて、

つまりハイカラ江戸人が大変珍しがって、

しかもかなり美味しいと思ったにちがいないこの事実を

ご存知ないのだろうか。残念無念。

で、

この衝撃を誰かと是非とも分かち合いたいと思いたち、

さっそく近くのお友達に、とくとくとお話ししたところ、

こんな回答がありまして、

2度目の衝撃を受けてしまいました。




 それって、

 要するに、

 フリッターっしょ?






一瞬、◯意が芽生えたかどうかは、みなさんの想像にお任せします。


学芸員A
posted by 十日町市博物館 at 09:00| Comment(0) | 日記

2017年01月26日

わしわし

みなさんこんにちは、「雪ほりダイエット」を提唱しようと真剣に考えてい

ない学芸員Aです。

といいつつ、今朝もワシワシと玄関前の除雪にいそしんできました。

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(郷土植物園)


ところで、十日町市の松代地域でかつて「伊沢紙」(いざわがみ)という、

手漉きの和紙が作られていたことをご存知でしょうか。

旧・小国町(現・長岡市)の小国紙、柏崎市門出(かどいで)の門出紙などとともに、

日本海側と信濃川流域とに挟まれた渋海(しぶみ)側流域の山間地域で作られていた和紙です。

「図書寮解」(ずしょりょうげ)の774年の記録には、

越後から紙の貢納があったことがかかれているそうですが、詳細はよくわかりません。

このあたりの伝承では、一帯の漉き紙の生産は16世紀の始め頃からあり、

文書記録では、17世紀後半(1680年頃)にはそれなりの生産量になっていたとされます。

でも明治時代になると安い西洋紙が流通するようになって生産量は激減し、

現在では上記の地域でもわずかな業者・団体を残してほぼなくなっています。

伊沢紙については、1988年頃(1950年頃という説も。)に最後の業者が廃業し、

漉き紙生産が潰えましたが、2003年(平成15年)に伊沢和紙として復活しました。

その技術は門出地域の職人から伝承されたそうです。


手漉き(てすき)和紙、というと、

国内の旅行先のどこでも目にすることができるような気がしていましたが、

全国手すき和紙連合会」さんによると、和紙ブランドは各都道府県で1件から数件しかないようです。

新潟県では小国門出小出の3つが登録されているに過ぎません。

小国紙(おぐにがみ)は国の「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」に登録されており、

門出紙とともに銘酒「久保田」のラベル紙になっている事が一部で知られていますが、

日常生活において縁遠くなっている手漉き和紙の存続は常に危ういものです。


せっかく復活した十日町市の伊沢和紙。

利用の方途を見つけて後々まで続いて欲しいと願っています。


学芸員A
posted by 十日町市博物館 at 09:00| Comment(0) | 日記