2016年11月29日

持続可能性

みんさんこんにちは、学芸員Aです。

たびたび紹介している長野日報さんからまたひとつ、縄文のネタ。


NPO法人環境カウンセラー協会というところから、表彰されたそうです。

持続可能な社会の実例として縄文文化を取り上げ、

国内の取り組みを比較して決定したとかで、

曰く、

 「わが国が世界に呼び掛けて始まったESD(持続可能な開発・発展のための教育)

  普及活動の最も目覚しい成果で、自治体の模範となる」

だそうです。おめでとうございます。


ところで、「持続可能な」で思い出したのですが、

昨日の火焔街道博学連携プロジェクトのフォーラムで、

顧問の藤岡さん(滋賀大学)のコメントがあって、なるほどと思ったものです。


「縄文人は自然を利用する以前に、よく知っていた。」


これです。

児童の発表を聞いていると、みなさん共通して技術の工夫や高度さを評価するわけで、

それはもちろん間違いではない。

ただ、そういう技術を行使するには、対象となる資源、

その資源を生み出している自然生態に関する詳しい知識が要ります。

技術と知識はセットなんです。


現代を生きる私たちはもはや持続可能性を考えずにいかなる開発行為も行いえませんから、

自然科学的知識の必要性はこれからもどんどん増していくことでしょう。

縄文文化に学ぶことの意味は、縄文時代に帰りたいとか帰るべきだからではなくて、

縄文文化における自然との関係には高度な知識が内在していた事実から、

現代社会における自然との関係がどうなのかと、問いを立てることができるから。

また、いわゆる「理科嫌い」というのが、

持続可能な社会の実現と発展にとって危惧される状況なんだと、

そういうところに思い致すことができるからではないか。

藤岡さんのお話は、そんな趣旨だったと思います。


科学がいけない、なんていう話は公害が多発してイメージが悪化した40年以上前の思想状況で、

実際は身の回りのほとんどが高度な自然科学的知識・技術によって下支えされ、

利用、運用されているのです。

歴史に学ぶということは、前例のなかから現代と類似の関係性を汲み取ることでもあります。

今後を生きる子どもには、自然科学が、より良い社会の実現に欠かせないものだと知ってほしいものです。


学芸員A
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2016年11月28日

火焔街道博学連携プロジェクト フォーラム

みなさんこんにちは、学芸員Aです。

今日は長岡、小千谷、十日町の小学生を集めて行う総合学習、

「博学連携プロジェクト」のフォーラムに参加してきました。

十日町市からは、下条、中条、鐙島小学校が参加。

鐙島小学校は、土器作りを通じて一緒に勉強してきました。

縄文館で教えた、縄文人の植物利用の話、覚えていたんですね。

発表中、ヤブツルアズキからアズキへという遺伝的進化と、

縄文文化と現代文化の共通性とを並列して言及したあたり、

とても意味深なものを感じました。

そして、人と自然、人と人、その相互関係が大事であり、

現代を生きる我々はその両方を見つめ直す必要があるとまでいいました。

学習の到達点としてはとてもかなりいいところまで来た、そう思いました。




ポスター発表のほうでは、司会の先生から「一番いいのはどれか」と訊かれたので、

迷いつつも関原小学校の小林さんチームの発表をあげさせてもらいました。

2016-11-28_hakugakurenkei.jpg
(ヒスイ原石の模型をもつ小林さん。
 研磨して小さくなることを表すために、中に一回り小さな勾玉模型が入っている。)

勾玉の製作工程を図示するだけでなく、

大型模型を作って説明してくれたところが秀逸だったからです。

内容も大事ですが、見せる努力も同じくらい大事だからです。

この辺は、博物館学芸員的な評価だったかもしれません。


でも、ほかにもいい発表がありましたので、ここだけの秘密として、紹介します。

吉谷小学校村山さんの発表。

最後の「感想」がキラリと光りました。

 「簡素な服しか着ていなかった〜(中略)〜縄文人をみくびっていた。」

この「みくびっていた」という言葉。思わず、ドキリとさせられました。

決していい言葉ではありません。でも、それを自分に向けた。

その言葉の選択に、自己内省の深さを感じたのです。児童とは思えません。

そして、さらに、こうありました。

 「縄文時代は時間に追われることがなかったため試行錯誤して

  つくり方を究明することができたのかなと思いました。」

道具製作の高度さや工夫が、生活の中の時間的余裕と関連する可能性があると気づいたのは、

ワタクシが見た限りではこの方だけだったと思います。

道具製作と生活の時間スケジュールの関係は、生業活動のある面の本質であり、

むしろこの関係を知りたいと思って考古学研究者が多くの汗を流しているのです。

もしもこの気づきを出発点にして、歩を進められていたら、、、

惜しいなと思いつつ、今後の発展を最も期待した作品でした。

今日もまた、得るものの多い学習となりました。


学芸員A
posted by 十日町市博物館 at 17:34| Comment(0) | 日記

2016年11月25日

「所属」の用法

みなさんこんにちは、学芸員Aです。

一日に何度も「さみさみ」という季節になってきました。

これは、刺身刺身の略ではなく、寒い寒いって意味です念のため。


ところで「所属」って言葉ありますよね、その使い方を最近調べました。

まさかこんな言葉について辞書を引くとは思ってもみませんでしたが、

世の中は本当に広くて、そういうことが必要な場面に出くわすことがあるものです。

コトバンク「所属」より

 デジタル大辞泉の解説
 しょ‐ぞく【所属】
 [名](スル) 個人や事物などが、ある団体・組織にその一員・一部として加わっていること。「テニス部に所属する」

大辞林 第三版の解説
 しょぞく【所属】
 ( 名 ) スル  団体・機関などに一員として加わっていること。 「政党に−する」


「所属」は、動作を表す抽象名詞で、「スル」をつけて動詞化できます。

「あなたのご所属は?」というとき、これは実際は「所属スル部署」を訊いています。

「スル部署」は、慣用的に略されています。

ところが、世の中が広いせいなのか、こんな使い方を目にすることがないでしょうか。


「〜に関連する所属へ」


どうでしょう。

「所属」は動作を表しますし、特定の個人を前提としないならば、

「〜に関連する部署へ」とか「〜関連部署へ」というのが正しいはずです。

会話の中で慣用的に省略しているわけでもないなら、

「所属」をいれる余地はありません。辞書にはない用法です。

ちなみに「担当」にも同じような誤用があり、「担当者」というべきことが多いです。

以前、文部科学省さんから来た文書の下方には、ちゃんと「担当者:文部 花子」とあり、

妙に感心したのをおぼえています。

などと思いつつも、この変な使い方が世の中に一杯あったらどうしよう、

と若干弱気になって「所属」を検索してみたら、なんと、



ありました。



「げ」とつぶやいたかどうかは秘密です。



ある県のある「要綱」にこの使い方をしているのを見つけてしまったのです。1件だけですが。

ということは、この県庁ではかなり当たり前にこの用法が存在するということなのでしょうか。

驚きです。


言葉は移ろいゆくものなので、そうして使い続けているうちにいつの間にか当たり前になって、

地域スタンダードの方言や、もっと一般的で正しい使い方になっていくこともあります。

そういうときは、文法なんて軽く飛び越えていくものです。

「最近の若者は言葉の使い方がなっとらん!」とかいうと、

「これだから年寄りは・・」とかナントカいわれかねません。

言葉って難しいですね。



さみさみ



学芸員A
posted by 十日町市博物館 at 09:05| Comment(0) | 日記